死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人

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死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人 池谷孝司・編/著 共同通信社・刊 1,400+TAX円


改めて「刑罰」の意味を考えさせられる本。

 「刑罰」は何のためにあるのか。社会防衛のための「見せしめ」、犯人の「更正」、それとも、被害者や社会の「処罰感情」を満足させるためだけなのか。

 この犯人は何の反省もなく「希望通り」に処刑された。これで見せしめになったのか。犯人が死を望んでいないとき、死刑は犯罪の大きな抑止力となり得るが、この場合はどうだったのか。そして、社会の処罰感情は充足されたのだろうか。

 この犯罪は、軽度発達障害が基底にあり、それを無視した養育により「愛着障害」を引き起こした結果だろうと、私は考えるが、本書を読みその思いはますます強くなった。本書に記述された母親の養育姿勢、母子関係等にその傾向が見られるような気がする。

 反省していない、むしろ死を望んでいる犯人に「望み通り」に「死刑」を執行することが、果たして最も正しい選択だったのだろうか。「間接自殺」を望む犯人に税金を使って、その手助けをしてやった。そういうことが言えないだろうか。

 護送車中での「不敵な笑い」は、何も彼が開き直っているからではない。アスペルガー、ADHD等の軽度発達障害では、相手も感情を読み取る、場の空気を読み取る、場に即した態度・表情をとることが極めて苦手なのだ。障碍のない人は、たとえ全く「反省」していなくても、「反省」した方がよい場面では、その雰囲気を読み取り、十分に「反省」できる。

 反省しているから減刑、反省の様子が全くないから求刑通りでは、このような発達障害者にとって極めて不利な状況となる。

 本書の最後にある元家裁調査官 藤川洋子氏の言葉が耳に残っている。

 「『反省』無き更正という方法があっても良いのではないか」

 再び社会に害を与えないようになるのならば、その方法も検討の余地はあるだろう。

 実母、大阪の姉妹の三人を殺害した犯行は事実であり、その責任は当然本人にとらせるべきだ。だから、死刑以外の選択肢は無かったのかもしれない。

 でも・・・・・・、


同じ事件を扱った図書に
我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人 小川善照・著 小学館・刊 1,800+TAX円

発達障害者の事件を扱った本に
自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の罪と罰 佐藤幹雄・著 洋泉社・刊 2200+TAX 円 がある。この本もおすすめ。

事件がある度に、強調されることだが、これらの発達障害があるから、事件を起こすのではない。これらの発達障害に対して適切な療育がなされてこなかったから、事件の加害者となってしまったのだ。

もう一つ、気になることがある。

これらの凶悪犯罪被疑者の障碍を極力隠そうとする傾向があることだ。それは、これらの障碍をもった人々から、自分たちまでがそのような犯罪の予備軍のように思われるので、(障碍名の報道は)極力やめて欲しいという願いが寄せられているからなのだが、実はそれだけではない。

 最近とみに高まっている「処罰感情への配慮」がある。明らかな障碍があり、責任能力なしと判断されたときには、裁判そのものが成立しなくなり、処罰を求める世論から検察は厳しい批判をうける。だから、できる限り、「責任能力なし」は避けたいのだ。

 上掲の「自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の罪と罰」の犯人は、自閉症とともに知的なハンディもあった。しかし、「責任能力あり」との鑑定を元に、裁判官、検察官、弁護士の言っていることの意味も分からないまま、裁判は進行し判決が下される。絞首刑となった彼は、最後まで何も分からないままだったのだろう。
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by taketombow | 2010-06-05 19:44 | 私の本棚から  

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