都庁の災害対策住宅非常招集に・・

この記事を読んで、2000年9月の東海豪雨を思い出した。

当夜、私は万一の時には避難所となる学校で、緊急配備についていた。緊急配備といっても、学校の設備財産を災害から守るためであり、避難所の開設、運営区役所、地域住民からなる学区災害対策本部の仕事であり。教員の職務とはなっていない。

(だから、何日泊まり込んでも、教員に代休は無い。現実には、避難所開設期間中は複数の教員が学校に泊まり込み、昼間は授業、夜は避難所のお世話という日々が続いた。これは結構肉体的にきつい。しかし制度上、その苦労に報いるための代休さえも与えられないというのは、不平一つ言わず働いてくれた彼らには申し訳なくて、つらい。)

避難所開設は学区住民が設置する災害対策本部の仕事。そこへ対応のために役所から係員が派遣される手はずになっている。しかし、橋桁を洗うほどの出水があっても、避難勧告が出ても、避難所には何の連絡も無かった。住民からの問い合わせの電話も殺到したが、何の情報もなく回答する術もなかった。停電でTV,FAX,PCは使えない。学校の近辺を回り初めて浸水の事実を知ったくらいだった。

役所は怠けていたのではない。人手が無く出来なかったのだ。

また、このような場合真っ先に動くはずの、消防団をはじめとした自主防災組織も機能しなかった。自分たち自身が被災し身動きがとれなかったのだ。
やむを得ず、教員の手で避難所を開設し、避難住民を収容した。備蓄の毛布と乾パンを配布する。たちまちストックの毛布が底を尽いた。

結局、自治体から係員が派遣され、災害対策本部から毛布や食料の追加が届いたのは避難所開設から21時間後の午後3時過ぎだった。

なぜ、そんなに遅れたのか。

自治体職員で市内に住んでいる職員はさほど多くない。多くは周辺都市に住んでいる。そのため、災害で交通が途絶し、参集出来なかったのだ。
午後3時に到着した職員は、隣接県にの自宅を早朝出発し、動いている交通機関を乗り継ぎ、時には歩き、やっと到着したという。

このような経験をふまえて考えると,「万一の時を考え,保安要員を庁舎の近くに住まわす」という、東京都のこのような方式は評価できる。

ただし、実効性を確保するために、年に数回訓練をするとともに、その参集率によって退去を考慮しても良いと思う。
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by taketombow | 2005-08-03 15:42 | ニースに接して  

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