「自分が変わる」ということ

H17/8/5 毎日新聞 夕刊
・素手で給食食べさす 50代女教師(鳥取)
・酔って交番で暴れ戒告 47歳男性教師(愛知)

新聞の報道通りだとしたら,行為の中身は論評に値しない。問題外だ。
 ここで気になったのは二人の年齢だ。同じような世代である。この二人は時代合わせてに自分を変えられなかったのではないかと思う。

 この二人が教師になった頃は,まだまだ時代が鷹揚で,大きな怪我さえさせなければ,直接的な体罰はある程度容認されていた。ましてや,このような精神的,人権侵害的な行き過ぎた指導は問題にさえならなかった。
 もちろんそれが良かったと言うつもりは,毛頭無い。単に,そういう時代だったということだけだ。
 時の移り変わりとともに,子どもはもちろんのこと,保護者も,家庭も,地域社会も変わる。当然のこととして,人権意識も,道徳観念も変わる。子どもを育てる。子どもを愛するという不易普遍的な部分は必要だが,方法論的な部分はその時代に合わせて変えていかなければならない。

 それができなかったのだろう。このような教師は,子どもたちを押さえ込むためにこのような強圧的な態度に出るか,子どもに徹底的に背かれ学級崩壊を起こすかになりやすい。

 「私は○○年間この指導方法でやってきました。こんな風になったのは,この子たちが初めてです。(悪いのは私の指導ではありません。この子たちです)」

 このような教師に「だからだめなんです(あなたも変わらないから)」と言っても通じない。上司が指導方法を注意すると,あたかも全人格を否定されたような過剰反応を示すことさえある。

 管理職の鼎の軽重が問われる場面でもある。

後者の泥酔事件はいかにも日本的だ。交番で暴れ,施設を壊し(器物損壊,公務執行妨害)
ても「戒告」で済む。「酒の上での出来事」には,非常に甘い。以前,どこかの大学教授が手鏡でスカートの中を覗き捕まったことがある。こちらは,実名で報道された上に,刑法上は更に軽い罪だが,仕事も社会的名誉も失っている。「酒の上での出来事」に甘い部分は余り変わっていない。

 とにかく,「自分を変える」は非常に難しい。
[PR]

by taketombow | 2005-08-05 20:22 | ニースに接して  

<< 郵政法案と衆院解散 「公と私の区別の欠如」か?「甘... >>