スタンドプレーに終わらなければ良いが。

掃除時間節約 たっぷり遊ぼう  犬山北小(愛知県)

犬山市立犬山北小は、「掃除の時間」をほぼ全廃し、代わりに「遊びの時間」を導入した。希薄になりがちな友達関係を遊びを通して育んでもらうのが狙いで、全国的にも珍しい試みという。

         中日新聞(名古屋市版9/22朝刊)

まず最初に、「児童・生徒に学校の清掃をさせること」への私の考えを明らかにしておく。
私は、「消極的な賛成」でしかない。 理由は、以下の通りだ。

 清掃活動をさせることには、
「自分たちが使った使った施設を自分たちできれいにすることにより、公共施設をたいせつにしようという心を育てる」
という教育的目的があると理解してきた。
 しかし、そうでもないようだ。周囲に聞くと、子どもの頃、玄関、職員室、地域開放ルーム等の清掃をやったことがある人もかなりいる。これらの場所は原則児童生徒は使用しない。となると、前述の目的とは合致しない。多分(これからは私の想像でしかないが)明治の学制発布のとき、施設と教師の確保だけで手一杯だったから、清掃は児童生徒がするようになったのが実態ではないだろうか。教育として必然性のある目的がないのなら、清掃を児童にさせる必然性は少なくなる。
 それに、「自分の汚したものは自分の手で綺麗にさせる」といっても、辺り構わずゴミを散らかし汚すような輩は、清掃活動もさぼってばかりで邪魔になりこそすれ、ろくにやらない。清掃をしっかりするのは、自分のゴミは自分で始末でき、殆ど汚さない子たちなのだ。これは、公共の場で一部の大人の行動を見ればよく分かる。大人も同様だ。
 学校の清掃は民間委託にしてもよいと思う。 それだけでも、相当な雇用機会の創出になる。

さて、本論に戻る。
 前述の考えをもつ私だが、今回の犬山北小の方針変更措置には、「?」だ。

1 子どもたちを汚い環境で学習させることにならないか。
  30人~40人の集団が学習するだけでも、繊維がこすれてのの綿埃。衣服に付着する砂、土。髪の毛。消しゴムの消しかす、給食のパンくず等は毎日一定量発生する。それらは通常、床面に散乱している。更に学習の際に発生する、教材の包装、切れ端、残り等がある。週一回の清掃日まで、子どもたちはこの中で生活する。
 もし、「今までの清掃指導が徹底し、児童が校内を殆ど汚さなくなった」から、「清掃時間を廃止する」なら分かるが、そうでないとしたら、「単なる指導の後退」にすぎないのではないか。

2 学校で遊びを指導する必要があるのか。
  学校に付託された役割は何だろうか。確かな学力を身につけさせることだと思う。「学力」の意味するものは何かについては様々な異論があるが、「遊び」もその中に入るのだろうか。そして、清掃の時間を廃止してまで学校教育が担うべき事なのだろうか。そのようなゆとりがあるのだったら、その分学校での拘束時間を短くして、児童の放課後の時間を確保するように努めるのがあるべき姿ではないだろうか。


     <この項続く>
           
[PR]

by taketombow | 2005-09-23 22:08 | ニースに接して  

<< 山で茹で立てのスパゲッティを食... 教師が「万能」とは思わないが、... >>