生き続けることの哀しさ

Excite エキサイト : 社会ニュース

地域社会の無力、人間関係の希薄化、行政の怠慢等々、コメントしようと思えば何とでも言える。
 しかし、このニュースを聞いて感じたのは、生きていくこと、生きてしまったことの哀しさだ。

「もう、これくらいでいいよ」
「この苦しみから逃れたいよ」
「もう堪らなく寂しいよ」
「疲れたよ」

そう思ったとしても、命がある限り、生き続けなければならない。
 それは、生きる望みを見失ってしまった人にとり、ある意味ではこの上無く残酷なことだ。

 彼らがもっと近所づきあいが上手だったら、妻が認知症にならなかったら、身寄りがいたら・・・等々、いくつもの「なら」「たら」が私の胸の中を去来する。
高齢の方々に、生きる望み、長生きをした喜びを実感していただくには、私たちは何をしたらよいのだろうか。

「幸福な老後」「悠々自適の生活」等という言葉は、貯蓄商品や介護施設のキャッチコピーの中にしか実在しないのだろうか。

神は、何を根拠に彼らにこのような裁可を下したのか。

神に説明を聞いてみたい。
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by taketombow | 2005-11-10 22:56 | ニースに接して  

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