加害当事者側の責任は?

神戸、私立高校での「いじめ」自殺」事件。

 この種の事件を単なる「いじめ」と類別するのには、違和感がある。
暴力を伴った、「脅迫」「恐喝事件」とすべきのではないのか。軽い「いじめ」単なる「からかい」と軽視していたことが、問題の深刻化に繋がったのではないのか。
Excite エキサイト : 社会ニュース

 この種の事件報道を見る度に思うのだが、なぜ、学校が謝罪して、加害者が謝罪しないのか不思議に思う。

 この事件に関わる人を整理してみる。

被害者とその保護者
加害者とその保護者
傍観者とその保護者
学校関係者(担任から管理職まで全て)
警察

 まず、警察は学校内での事件を防ぐことはできないから、除外。発生後の捜査にあたるだけだ。
 次に、学校。事件が学校内で発生し、学校での人間関係がその重要な要素になっている以上、その責任は免れない。

 そして、加害者。

 これらの主犯は学校か加害者か、誰なのだろうか。

 そして、今非難されているのは、誰だろうか。今ここで頭を下げ、一番謝罪すべきは誰なのだろうか。学校が謝罪すべきは、結果として犯行の「場」を提供してしまったこと、早期発見で生徒を守れなかったことの結果責任だ。

 「いじめ」を始めとする問題行動は、加害者側の家庭環境等に大きな問題が内在する場合も少なくなく、学校だけの指導ではその根本解決は非常に困難である。しかも、加害者側の家庭が、過度な進学圧力、児童虐待、家庭崩壊、DV、経済困窮、地域社会からの孤立に晒されているときは、同時進行でそれらにも対処せざるを得ない。解決に不可欠な家庭の協力が得られるどころか、暴力的な妨害・拒絶に遭うことも少なくないのだ。

 ましてや、今回のような私立の指導困難校では、その対応の難しさは想像に難くない。

 学校はこの事件をいつどの程度まで知ったのか。そして、どの様な指導をしたのか。当事者の保護者に対してはどのように連絡をしたのか。それらは、今後詳細に精査され、明らかにされなければならない。そして、責任の所在を明らかにし、謝罪すべきは謝罪し補償すべきは補償しなければならない。

 しかし、これらは加害者の謝罪の代わりとなるものではない。

 加害責任とは別の問題だ。

 加害責任は加害責任として、その所在を明らかにしなければならない。
 
 学校が関わる問題では、いつもこの点がうやむやになる点が気になる。記者会見に同席させ自分の言葉で答えさせればよい。このような組織的継続的な事件は、「魔が差した」「出来心」ではない。その他にも様々な問題を起こしているはずだ。自分のしでかしたことは、自分で責任を取らせるべきだ。
 少年法上の問題があるのなら、目線を入れればよいし、衝立越しでも良い。加害生徒が不可能なら保護者が出てくるべきだ。

 学校が身代わりになっている限り、親も子も、自分自身の罪の大きさには気付かない。ほとぼりが過ぎた頃、学校へ責任転嫁するのがおちだ。

 そして、いつの日かもっと大きな事件を引き起こす。

 再発防止のためにも、加害者の家庭に事件へ正面から対峙させるべきなのだ。

 加害責任は加害者にある。そしてそのように育てた保護者もその責を負わねばならない。親が逃げている限り、子どもはまともに育たない。

 学校の指導が原因なら、他の学年学級でも頻発しているはずだ。

人の心の痛みを思い遣る教育ができているか
あったとかなかったとか
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by taketombow | 2007-09-22 05:52 | ニースに接して  

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