「自閉症裁判」 レッサーパンダ帽男の罪と罰

 d0054692_14313938.jpg    佐藤 幹雄 著
ISBN4-89691-898-3   洋泉社・刊     定価(2200+TAX) 円

2001.4.30午前10時、東京浅草 雨降りの日
 19才の女子短大生が、レッサーパンダの帽子を被った男にナイフ
で刺され失血死した。

 白昼、180cm を越す大男が若い女性に馬乗りになり執拗に刺す。その衝動性と異様さから、怪物のような形相をした極悪非道な男を想像するだろう。

 しかし、この本から浮かび上がってくるのは、身体だけ大きいが決して視線を合わせられない気弱な男、知的障害を持ち金銭管理ができないため、自分の収入は勿論、末期ガンの娘を働かせたその収入も、医療費もパチンコで使い切ってしまう父親。家計を支えるため、末期ガンでありながら働き続けなければならなかった犯人の妹。という犯人を巡る余りにも悲惨な一家の姿だった。
 何度となく読むのを止めようかと思った本だ。内容がくだらないとか、表現が稚拙だとか言うのではない。暗いのだ。救いがなさすぎるのだ。そして悲しいことにこれが現実なのだ。

読了後

「じゃあどうしたら良いんだ!」

と大声で叫びたくなる。

 一つの犯罪には被害者の心情、加害者の更正、社会防衛等様々な面を考慮して刑罰が決められる。しかし、加害者が障害を持っていると、その責任能力の有無が争点となる。
 責任能力が無いと判断された場合は、刑罰は科せられず「誰も悪くない」「誰も責任を問われない」という状態になる。それを避けるために、検察は責任能力の立証に躍起となる。警察もマスコミも犯人の障害、養護学校卒業という事実は極力隠した。

そこに無理は無かっただろうか。

障害の有無に関わらず、罪は償わなければならない。しかし、少なくとも自分のしたことの善悪くらいは、分からせた上で処罰すべきと筆者は指摘する。

 犯行から約1年後、犯人の妹は全身に転移したガンのため、24才の生涯をひっそりと閉じた。

「今まで生きてきて何一つ楽しいことは無かった」

そう漏らしてい彼女だったが、弟の起こした事件をきっかけに、周囲に支援の輪が広がって、障害者認定、医療保護、生活保護等の手続きが取られ、父親との世帯分離がなされた。

自閉症、障害者家庭への理解と支援のあり方について考えさせられる本だ。
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by taketombow | 2005-05-22 14:31 | 私の本棚から  

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