"焼け糞型"の犯罪を防ぐために  リベンジできる社会を

 秋葉原の通り魔大量殺人事件は衝撃的だった。

ここに改めて犠牲者の方々のご冥福と、負傷者の方々の一日も早いご回復をお祈りしたい。

 犯人の今後の処遇については、大多数を占める極めて感情的な意見を始めとして様々な議論が為されている。あれだけの惨劇を引き起こした結果から、世論が感情的になるのは当然であるし、死刑という声に反対するつもりも毛頭ない。

 しかし、今回の事件の原因を犯人の資質だけに限定してしまって良いのだろうか。或いは家庭の躾、育て方だけに責任を転嫁して良いのだろうか。

 成人して何年か経った子の行動にも、親はマスコミの前に引っ張り出され、晒し者にさせられなければならないのだろうか。

千葉の駅前連続殺傷事件、岡山のホーム突き落とし事件等々、この"やけっぱち""焼け糞"型犯罪の引き金を引いたものは、本当に個人の資質だけなのか。

私には全く実感はないが、今は異例な長期持続型の好景気だそうだ。大手企業は軒並み業績を上げ、株主配当も役員報酬も大幅にアップしている。それなのに、生活保護受給者数が増えているのは何を物語っているのか。

 派遣労働の受け入れ先の大手製造業は、派遣社員一人あたりに1万4千円程度支払ってると聞く。だが、派遣労働者は寮費、食費を天引きされた後手元には、月額4~5万円程度しか残らない。勿論保険も年金もない。派遣契約が切れたら、住むところさえも失う。

このような生活も彼らの「自己責任」なのだろうか。社会や政治の「自己責任」は問われないのだろうか。

 このような人たちから中間搾取することを法的に容認している社会構造に、本質的な歪みはないのだろうか。

 必死になってフルタイムで働いても、派遣労働だと年収は300万程度にしかならない。勿論年金、保険には入れないし、病気や怪我になった途端、生活は破綻する。これで、社会に対し何の敵意も恨みも持たずにいることは可能なのだろうか。

教育社会学者 東京学芸大学教授山田昌弘氏 の著書
「希望格差社会」 (2007.3.10刊)の副題

「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

が 私の頭をよぎる。

感覚が鈍っているのは特殊なことではない
その場に居たら?
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by taketombow | 2008-06-11 22:02 | ニースに接して  

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