井上靖 「敦煌」

井上靖の作品の一つに「敦煌」という小説がある。
戦乱の世、11世紀のシルクロードで、敦煌の文化遺産を守ろうとした青年の活躍を描く歴史小説だ。

以前、西田敏行 (朱王礼)、佐藤浩市 (趙行徳)、中川安奈 (ツルピア)、新藤栄作 (段茂貞)、原田大二郎 (尉遅光)と言うキャストで映画化されたので記憶にある人もいるだろう。
 その後半に私の心に焼き付いて消えない部分がある。少々長いが、抜き書きして引用する。

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 ・・・・・沙州(敦煌)は、西夏軍本隊の攻撃を間近に控え、混乱に陥っていた。

趨行徳は尉遅光と別れると、宿舎へ帰る気にもならなかったので、やがて灰となるであろう沙州の夜の街を歩いた。どの街筋も、避難しようとしている住民たちで混乱していた。
賂駝も通り、馬も通っていた。行徳がこれまで見て来た河西のいかなる街とも、沙州の街は異なっていた。道幅も広く、街路樹もきちんと植わっており、道の両側には古く堂々たる商舗が軒を並べていた。その商舗のどれもがいまは人の出入が激しく立ち騒いでいた。


 商舗街を離れて、住宅地区へはいると、土塀を廻らした大きい氏家が立ち並んでいる。ここの騒ぎもまた、商舗街のそれと変わらなかった。街中が大きな騒ぎでひっくり返ってはいたが、その騒擾にはやはり暗い影があった。時々、騒擾がふいに遠のき、一瞬、滅入るような寂蓼感が四辺を占める時があった。赤い月が出ていた。血を漠らしたような赤さの月である。


 行徳は寺のある一劃へはいって行った。朱王礼の部隊の宿舎になっている城内東部の寺より、ずっと大きい構えの寺ばかりある区域であった。どの寺も広い敷地の中に大きな同じような伽藍が並んでいる。さすがにこの一劃だけは静かであった。伽藍の中でもおそらく立ち退きのための騒ぎを起こしているに違いなかったが、それは往来まで届いて来なかった。

 行徳は幾つかの寺の前を通った。どの寺が何という名であるか知らなかったが、行徳は幾つ目かに眼についた一番大きな伽藍を持っている寺の境内へ足を踏み入れてみた。門をくぐって少し行くと、右手に大きな塔があった。赤い月はその塔の肩にかかっていた。境内の敷地には、塔を初め幾つかの伽藍の影が濃く砂地に捺されてあった。行徳はそうした幾つかの黒い影の上を踏んで、奥の方へ歩いて行ってみた。やがて、建物の一つから燈火が洩れているのを見た。余り辺りが静かなので、この寺の住人は既に城外へ脱け出したに違いない
と思った矢先だったので、燈火が洩れているのを見たのは意外だった。

 行徳はその燈火の方に近付いて行ってみた。低い階段を登ろうとして、そこが経蔵らしいことに気付いた。表戸が僅かに開かれている。内部には幾つかの燈火が点されているらしく、思ったより明るかった。

 室内を覗き込んだ行徳の眼に最初映ったものは、そこを一面に埋めている移しい経巻や反古類と、その中に居る一見して二十歳前後と思われる三人の青年僧たちの姿であった。三人の若者のうち二人は立って居り、一人は屈んでいた。彼等は行徳が覗いて居るのにも気付かず、自分たちの作業に夢中になっていた。

 行徳は初め彼等が何をしているか判らなかったが、そのうちに三人の僧が経巻を選り分ける仕事をしていることを知った。一つの経巻を手に取って、それに長く眼を当てていることもあれば、直ぐそれから眼を離して、他の経巻を取り上げる場合もあった。行徳は何となく見惚れるような気持ちで、三人の作業を見守っていたが、暫くしてから、

「一体、何をしているのか」

と声をかけた。三人の若い僧侶はぎょっとしたように、いっせいに行徳の方を見た。

「たれか」

一人が叫んだ。

「怪しい者ではない。一体、お前たちは何をしているのだ」

行徳は入口から一歩踏み入って言った。

「経巻を選り分けている」

同じ僧侶が答えた。

「より分けてどうするのだ」

「万一の時の用意をしているのだ。若し寺に火のかかるような時は選り分けたものだけ持って逃げる」

「火がかかるまでここに居るつもりか」

「勿論だ」

「避難はしないのか。避難命令が出ているだろう」

「幾ら避難命令が出ても、これだけの経巻を置いて逃げられると思うのか。他の考は知らないが、われわれは戦闘が始まってもこの経蔵の中に残っている」

「他の僧侶はどうした?」

「避難した。併し、そうした人たちのことはどうでもいい。われわれは自分たちの意志でやっているのだ」

「住職は?」

「寺をどうするか相談するために昨夜から王城へ行っている」

「どうして経巻を置いて避難できぬのか」

 行徳が訊くと、青年僧の顔には明らかにそれと判る軽蔑の色が現われた。今まで黙っていた一番若い僧が言った。

「自分たちの読んだ経巻の数は知れたものだ。読まないものがいっぱいある。まだ開けてさえ見ない経巻は無数にある。−俺たちは読みたいのだ」

 その言葉が急に行徳の躰全体に熱く滲み入って来た。そのために暫くの聞行徳は自分の躰全体が痒れているような気がした。曾て何年か前、自分はこれと同じ言葉を何回口から吐いたことだろうと思った。
行徳はすぐその経堂を出た。
・・・・・・
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         (井上靖 「敦煌」 新潮文庫版 より)

「俺たちは読みたいのだ」

この言葉が実に心地良く心に響く。
戦火に巻き込まれ自らも死ぬかも知れない。どんな貴重な経巻を読み新たな知識を得ても、死んでしまっては元も子もない。この考えも理に叶っており至極当然だ。
他方、明日にも戦火に巻き込まれ、命を落とすかも知れないし、経巻が消失してしまうかも知れない。開けてさえ見ないまま消失させるのも、それらを読みもしないまま自分が死んでいくのも口惜しい。消失や死が避けられないのだったら、少しでも多くの経巻に目を通しておきたい。
 この考え方も理解ができる。

「知」への強い欲求。これが「ヒト」を「人」たらしめる大きな力かも知れない。

私も、その寿命が尽きるまでに、何冊の素晴らしい本との出会いに恵まれるのだろうか。
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by taketombow | 2008-12-12 22:43 | 私の本棚から  

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