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「貧困」と「格差」を考える その2

何処かの国の首相が、「とてつもない国」という本を書いている(難しい漢字でも特にルビが振ってあるわけではない)が、私たちの国は、いつの間にか、子ども達にとって「とんでもない国」になってしまっているのかも知れない。
 そんなことを感じながら、「貧困」と「格差」について、再び読み解いてみた。


子どもの貧困―日本の不公平を考える 阿部彩・著 岩波書店・刊 780+TAX円

「貧困」問題を「子ども」を中心にした視点で論ずる。
 貧困の指標としては、「相対的貧困」と「絶対的貧困」とが用いられる。そして絶対的貧困は主としてアフリカなどの後進国、相対的貧困は先進国で問題となる。本書で論ぜられているのは相対的貧困だ。OECDの最近の調査によると、我が国の貧困率はアメリカに次いで世界第2位だという。アメリカをお手本とした「構造改革」、「規制緩和」、「自己責任」という「小泉改革」で私たちが目指しそして得たものは、世界第2位の貧困率だった。
貧困の定義については、本書の第2章で述べられているOECDの定義をそのまま用い、手取りの世帯収入の中央値の50%のラインを「貧困」としている。貧困率はそれが全世帯に占める割合である。つまり、我が国は、世界で2番目に「貧困世帯」の占める割合が多い、富の偏在した国家だということだ。
 貧困はそれが子どもたちの現在だけでなく、将来をも規定する。すなわち、「貧困」の環境にある子ども達は「そうでない」子どもに較べ不利な立場にある。著者はこの事実を豊富なデータを示しながら実証的に説いていく。まず、進学就職に直結する「学力」、人格形成に影響する「子育て環境」、「健康」、「非行」、「虐待」「疎外感」等々と「貧困」とどのように相関関係にあるのかを、PISAの調査、苅谷剛彦氏の著書「階層化日本と教育危機」からの引用で説明している。
 興味深いのは、貧困対策として、生活保護、児童手当、扶養控除、就学援助等の施策がなされ、「富める階層」から「子育て階層」への所得移転がされ、ある程度は平準化されているはずなのだが、現実には所得移転の施策前と後では、後の方が「子育て階層」の貧困度が増しているということだ。
 著者の問いかける点は二つ。
・子どもの基本的な成長にかかわる医療、基本的衣食住、少なくとも義務教育、そしてほぼ普遍的になった高校教育(生活)のアクセスを、全ての子どもが享受すべきである。
・たとえ「完全な平等」を達成することが不可能だとしても、それを「いたしかたがない」と許容するのではなく、少しでも、僧でなくなる方向に向かうように努力する社会の姿勢が必要である。

 このような論には何時も「財源がない」との主張がある。しかし、優先度、必要度を論じ先の日本を見据えて何とか解決策を見いだしていくのが政治家の仕事だった筈だ。先が読めない、夢を語れない政治家は、その資格はない。


新・学歴社会がはじまる―分断される子どもたち 尾木直樹・著 青灯社・刊 1,800+TAX円

要は苅谷剛彦、福地誠、山田昌弘氏らの主張と同じ。
 学力格差が広がっていること、そしてそれが子どもの工夫や努力ではどうしようもない、家計や出自の違いによることが多いこと等が述べられている。
 自己責任、公正な競争社会と言われながら、生まれながらの格差によって、「公正な競争」のスタートラインにさえ立つことができない子どもたちが生まれつつあることに警鐘を鳴らす。
 富裕層は公立校から離脱し私立国立有名校へと進学し、公立校の荒廃に拍車をかける。学校選択制、公立一貫校の設置により、富裕層まで行かなくても、多少の経済的負担と目先の利く感覚を持った親は、僅かな負担増だけで「よりまし」な公立へと進学できる。
 家庭・地域社会の様々な困難を背負って地域校で学ぶ子ども達と、私立国立付属校や公立一貫校の子ども達とは、既にこの時点で差が出ているのだ。そしてそれは、数年後の学歴の差として表れ、就職就業の際の差となって現れる、生涯賃金の格差となる。それが、著者の言う「新・学歴社会」の始まりなのだ。
 本書ではその他に、素人によるピントのはずれた学力低下論争による学力格差の増大。不景気の度に起こる学力低下論争の背景など述べられており、それなりに興味深い。
 苅谷剛彦氏の述べる格差拡大の要因について、著者は批判的である。この部分だけは同意できない。また、家庭の経済状況と親子関係について、著者にはステレオタイプな傾向がある点もやや気に掛かる。


ルポ 貧困大国アメリカ 堤未果・著 岩波書店・刊 700+TAX円

 食料が足りず皆がお腹を空かしているとき、誰もが同じでどこにも食べるものがないなら、諦め我慢するしかない。これが後進国型の貧困(絶対的貧困)だ。
 高級レストランで柔らかいビーフステーキを腹一杯食べた後、食べ残しをペットにやろうとしたら、ペットさえも見向きもしない。その建物の外では、ホームレスが寒さに震えて、物乞いをしている。これが先進国型の貧困(相対的貧困)だ。

 我が国が「自己責任」「規制緩和」「競争原理」「自助努力」の導入によってお手本にしようとしているアメリカのもう一つの顔は「世界一の貧困大国」である。全世帯数の中に貧困世帯の占める割合が最も高い国。そして2位は我が国である。
 リーマンブラザーズの倒産によって顕在化し、瞬く間に世界中を不景気の真っ直中に突き落とした「サブプライムローン問題」は、アメリカの貧困層を更に下位層へと突き落とし、世界の投資家から巨額の資金を霧散させたマネーゲームの結末だったのだ。
 本書は、ヒスパニック系の貧困層に高利で住宅ローンを貸し付けたり、カードローンの支払いや、大学の学費ローンの支払いのために、兵役に就く大学生をスカウトする軍のリクルーターなどの貧困ビジネス。一度の入院で多額の借金を背負い込んでしまう医療制度、入院費の負担を軽減するための日帰り出産等低所得者層の置かれたの現状をレポートし、極端な民営化の果てに二極化が進んだアメリカの姿を浮き彫りにしている。
 これは決して他の国のことではない。明日の我が国のことなのだ。私たちは、このような未来を望む投票行動をしているのだ。


貧困の現場 東海林智・著 毎日新聞社・刊  1,500+TAX円

秋葉原無差別殺人事件が起きたとき、一部に派遣労働者の置かれた生活環境をその一因と見なす論調があった。
 しかし、それは「どんなことも無差別殺人を正当化できる理由にはなり得ない」という”正論”に押し流されるように消えていった。
 それら”正論”を述べた人たちの中でどれだけの人が、彼らの生活実態を熟知した上で批判論を展開していたのだろうか。
 本書は、彼ら派遣労働者を始め、ファーストフード、コンビニエンスストアの正社員店長等の名ばかり管理職、ホームレス、ネットカフェ難民達の生活に密着し聞き取ったドキュメントだ。
 「自己責任」社会と言いながら今の社会は自己で責任を取れるまでにさえもいかない社会なのだ。「就職氷河期」に卒業したばかりに、正規労働に就けず、自己啓発の機会もないまま派遣労働からホームレス生活に転落していく若者たち。「転落」したらまず這い上がることができない「すべり台社会」
 彼らの実情も知らず(知ろうともせず)に、軽々と批判し「自己責任」を論じてはいけないのだ。「明日は我が身」かも知れない時代に私たちは生きている。



教育と所得格差 インドネシアにおける貧困削減に向けて 本台進/新谷正彦・著 日本評論社・刊 6,200+TAX円

一昔、大学教育は、一握りの秀才か金持ちの子弟にだけに許されたものだった。そしてその多くはエリートとして、出世の階段を上っていった。努力して高等教育を受けさえすれば、将来が約束されたのだ。山田昌弘氏は自著「希望格差社会」の中でそれを「教育のパイプライン」と称した。しかし、それが旨く機能したのは、高度成長時代からバブル前までだった。大学をはじめとする高等教育が(一部では大学院の修士課程や博士課程さえも)大衆化するに従い、教育が必ずしも将来の地位、収入を約束するものではなくなってきている。しかし、教育(学歴)が無ければ現実は更に惨めだ。
 そのような我が国と較べ、農業国であり、絶対的貧困率の高いインドネシアはどうであろうか、貧困撲滅に「教育」はどのように機能するかを調べたのが本書だ。
結論は予想通り。
丁度、我が国で言えば、高度成長期以前という状況だ。
貧困の原因が、農村における労働力の過剰なので、農村においては、教育の経済効果は極めて低い。教育が農業の生産性を高めるために寄与する部分が少ないからだ。農家の子弟を教育し、都会の製造業やサービス業へ供給するのが有効なのだそうだが、そうすると、最後は日本の農業が辿ってきた道をインドネシアも辿ることになるのか?

※ このエントリーは書きかけ。当分の間、追記・修正があります。

「貧困」と「格差」に関連して今、机上にある本。(12月23日現在)

教育の3C時代―イギリスに学ぶ教養・キャリア・シティズンシップ教育 杉本厚夫/高乗秀明/水山光春・著 世界思想社・刊 2,000+TAX円
学力と階層 教育の綻びをどう修正するか 苅谷剛彦・著 朝日新聞出版・刊 1,800+TAX円
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by taketombow | 2008-12-23 23:25 | 私の本棚から  

井上靖 「敦煌」

井上靖の作品の一つに「敦煌」という小説がある。
戦乱の世、11世紀のシルクロードで、敦煌の文化遺産を守ろうとした青年の活躍を描く歴史小説だ。

以前、西田敏行 (朱王礼)、佐藤浩市 (趙行徳)、中川安奈 (ツルピア)、新藤栄作 (段茂貞)、原田大二郎 (尉遅光)と言うキャストで映画化されたので記憶にある人もいるだろう。
 その後半に私の心に焼き付いて消えない部分がある。少々長いが、抜き書きして引用する。

**********************
 ・・・・・沙州(敦煌)は、西夏軍本隊の攻撃を間近に控え、混乱に陥っていた。

趨行徳は尉遅光と別れると、宿舎へ帰る気にもならなかったので、やがて灰となるであろう沙州の夜の街を歩いた。どの街筋も、避難しようとしている住民たちで混乱していた。
賂駝も通り、馬も通っていた。行徳がこれまで見て来た河西のいかなる街とも、沙州の街は異なっていた。道幅も広く、街路樹もきちんと植わっており、道の両側には古く堂々たる商舗が軒を並べていた。その商舗のどれもがいまは人の出入が激しく立ち騒いでいた。


 商舗街を離れて、住宅地区へはいると、土塀を廻らした大きい氏家が立ち並んでいる。ここの騒ぎもまた、商舗街のそれと変わらなかった。街中が大きな騒ぎでひっくり返ってはいたが、その騒擾にはやはり暗い影があった。時々、騒擾がふいに遠のき、一瞬、滅入るような寂蓼感が四辺を占める時があった。赤い月が出ていた。血を漠らしたような赤さの月である。


 行徳は寺のある一劃へはいって行った。朱王礼の部隊の宿舎になっている城内東部の寺より、ずっと大きい構えの寺ばかりある区域であった。どの寺も広い敷地の中に大きな同じような伽藍が並んでいる。さすがにこの一劃だけは静かであった。伽藍の中でもおそらく立ち退きのための騒ぎを起こしているに違いなかったが、それは往来まで届いて来なかった。

 行徳は幾つかの寺の前を通った。どの寺が何という名であるか知らなかったが、行徳は幾つ目かに眼についた一番大きな伽藍を持っている寺の境内へ足を踏み入れてみた。門をくぐって少し行くと、右手に大きな塔があった。赤い月はその塔の肩にかかっていた。境内の敷地には、塔を初め幾つかの伽藍の影が濃く砂地に捺されてあった。行徳はそうした幾つかの黒い影の上を踏んで、奥の方へ歩いて行ってみた。やがて、建物の一つから燈火が洩れているのを見た。余り辺りが静かなので、この寺の住人は既に城外へ脱け出したに違いない
と思った矢先だったので、燈火が洩れているのを見たのは意外だった。

 行徳はその燈火の方に近付いて行ってみた。低い階段を登ろうとして、そこが経蔵らしいことに気付いた。表戸が僅かに開かれている。内部には幾つかの燈火が点されているらしく、思ったより明るかった。

 室内を覗き込んだ行徳の眼に最初映ったものは、そこを一面に埋めている移しい経巻や反古類と、その中に居る一見して二十歳前後と思われる三人の青年僧たちの姿であった。三人の若者のうち二人は立って居り、一人は屈んでいた。彼等は行徳が覗いて居るのにも気付かず、自分たちの作業に夢中になっていた。

 行徳は初め彼等が何をしているか判らなかったが、そのうちに三人の僧が経巻を選り分ける仕事をしていることを知った。一つの経巻を手に取って、それに長く眼を当てていることもあれば、直ぐそれから眼を離して、他の経巻を取り上げる場合もあった。行徳は何となく見惚れるような気持ちで、三人の作業を見守っていたが、暫くしてから、

「一体、何をしているのか」

と声をかけた。三人の若い僧侶はぎょっとしたように、いっせいに行徳の方を見た。

「たれか」

一人が叫んだ。

「怪しい者ではない。一体、お前たちは何をしているのだ」

行徳は入口から一歩踏み入って言った。

「経巻を選り分けている」

同じ僧侶が答えた。

「より分けてどうするのだ」

「万一の時の用意をしているのだ。若し寺に火のかかるような時は選り分けたものだけ持って逃げる」

「火がかかるまでここに居るつもりか」

「勿論だ」

「避難はしないのか。避難命令が出ているだろう」

「幾ら避難命令が出ても、これだけの経巻を置いて逃げられると思うのか。他の考は知らないが、われわれは戦闘が始まってもこの経蔵の中に残っている」

「他の僧侶はどうした?」

「避難した。併し、そうした人たちのことはどうでもいい。われわれは自分たちの意志でやっているのだ」

「住職は?」

「寺をどうするか相談するために昨夜から王城へ行っている」

「どうして経巻を置いて避難できぬのか」

 行徳が訊くと、青年僧の顔には明らかにそれと判る軽蔑の色が現われた。今まで黙っていた一番若い僧が言った。

「自分たちの読んだ経巻の数は知れたものだ。読まないものがいっぱいある。まだ開けてさえ見ない経巻は無数にある。−俺たちは読みたいのだ」

 その言葉が急に行徳の躰全体に熱く滲み入って来た。そのために暫くの聞行徳は自分の躰全体が痒れているような気がした。曾て何年か前、自分はこれと同じ言葉を何回口から吐いたことだろうと思った。
行徳はすぐその経堂を出た。
・・・・・・
*********************************
         (井上靖 「敦煌」 新潮文庫版 より)

「俺たちは読みたいのだ」

この言葉が実に心地良く心に響く。
戦火に巻き込まれ自らも死ぬかも知れない。どんな貴重な経巻を読み新たな知識を得ても、死んでしまっては元も子もない。この考えも理に叶っており至極当然だ。
他方、明日にも戦火に巻き込まれ、命を落とすかも知れないし、経巻が消失してしまうかも知れない。開けてさえ見ないまま消失させるのも、それらを読みもしないまま自分が死んでいくのも口惜しい。消失や死が避けられないのだったら、少しでも多くの経巻に目を通しておきたい。
 この考え方も理解ができる。

「知」への強い欲求。これが「ヒト」を「人」たらしめる大きな力かも知れない。

私も、その寿命が尽きるまでに、何冊の素晴らしい本との出会いに恵まれるのだろうか。
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by taketombow | 2008-12-12 22:43 | 私の本棚から  

私の読書術

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「付箋読書法」と勝手に名付けている。

1 「おやっ」と思ったこと、「そうか」と感じたこと、「いいな」と思ったこと等々、とにかく気になったところには、付箋を付ける。何も考えないでただひたすら付箋を付けてページを繰る。
2 次は、その付箋のところだけを読み直す。
3 そして最後に、感想を文章化する。

新書程度なら、付箋に2時間、読み直しに30分、文章化に30分の合計3時間で私の読書は終わる。
 但し、文学作品は別だ。読むことそのものが楽しみなのでできる限り時間をかけ味わいながら読む。つい夢中になり、徹夜して読み上げてしまうことも、2ヶ月かかることも珍しくはない。
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by taketombow | 2008-12-05 21:23 | 私の本棚から  

「貧困」と「格差」を考える

 元厚生労働省事務次官襲撃事件をはじめとする焼け糞型犯罪、児童虐待、通り魔犯罪、不登校、引きこもり等々。
 我が国を覆う様々な問題の背後に「貧困」と「格差」の問題が見え隠れしている。年間生活費が日本円で数百円という極貧の国々と比べると、我が国は遙かに豊かだ。どこに「貧困」があるのか、問題にすべき「格差」とは一体何なのだろうか。貧困と格差をキーワードに、活字の森を彷徨ってみた。

子どもの最貧国・日本 山野良一・著 光文社・刊 820+TAX円
 子どもの虐待、いじめ、愛着障碍、発達障碍など憂慮すべき問題の奥に、大きく横たわっているのが「子どもの貧困」だ。勿論、低開発国における「貧困」とはその質は違うが、見えないところで子ども達の心身を、そして我が国の未来を確実に蝕んでいる。
 「経済合理性」「自己責任」の名の下に、貧困の中で育ち、「希望を持つこと」「努力すること」すら教えられてこなかった子ども達は、学校教育の極めて早い段階から逸脱し、将来の貧困層の予備軍となっていく。
 本書はその指摘だけで終わっていないところにその真価がある。
 子ども達の抱える様々な問題、将来にその子達が惹起するであろう様々な問題を社会が負担するコストととしてシシミュレートした結果も興味深い。
子ども時代に1年間貧困に晒されただけで、その子どもの将来受け取る生涯賃金が150万減少してしまうのだ。様々な子育て支援、生活保護等の必要性を経済合理性の麺から説いている点が新しい。
 しかし、生活保護費の方が、まともに働いて得られる賃金よりも遙かに多い現実は、彼らを「保護難民」という坩堝に陥れてしまわないだろうか。
「まともに働いてそれ相応の賃金を得る。」
「努力すれば明日に明るい希望がもてる。」
そのような世の中が再び現れるのは、何時の日なのだろうか。
 今、私たちは何を考え、どのような行動をすべきなのかが問われている。


置き去り社会の孤独 大津和夫・著 日本評論社・刊 1,800+TAX円
社会の大勢がニート、フリーターを「本人の問題」「自己責任」と捉えている間は、何を言っても無駄だろう。
 もちろん、そのような若者もいる。しかし、大多数が政治の貧困、無策から、あの就職氷河期に直面し、正社員、正規雇用に就くことができず、必要なスキルアップもできないまま、30才台になってしまったのだ。
 彼らの将来はどうなっていくのだろうか。「自己責任」と突き放すだけで本当によいのだろうか。
筆者はその点を強く突いてくる。これらの若者がみすみすタックスイーターに堕ちていくのを座視していて良いのだろうか。タックスイーターをタックスペイヤーに変える工夫はない物なのだろうか。諸外国では既にその努力を始めているという。
将来に絶望し、望みを失った彼らが「社会の火薬庫」とならない保証はあるのだろうか。


生活保護が危ない?最後のセーフティーネットはいま?  産経新聞大阪社会部・編 扶桑社・刊
 760+TAX円

 日本の生活保護の給付内容、給付基準の低さは世界の中でもトップクラスのものだそうだ。そして、その補足率の低さも世界のトップクラスだそうだ。
 つまり、誰にでも受けられるように受給資格を下げ、内容も豊かにしているが、現実にはなかなか受給申請ができない。それが我が国の生活保護なのだ。
 現在のままで、有資格者が全員受給すれば、財政は直ちにパンクするのは当然だが、ハードルを下げても、有資格者の大部分が受給するようになったら、財政的に相当苦しい。
 また、派遣等の非正規雇用の労働者が増え、平均年収が大幅に低下した結果、
「まともに働いているよりも、生活保護で働かない方が収入が多い」
 という現象も現れている。
 生活保護の世代連鎖は、貧困の世代連鎖となって日本の活力を確実に蝕んでいく。
 生活保護について考えさせられる本だ。
不正受給で不当な利益を得る人がいるのも現実、受けられる資格があるのに申請さえもして貰えないで、或いは支給を打ち切られて、餓死する人がいるのも現実だ。
 制度を根底から見直す時が来ている。


新平等社会―「希望格差」を超えて 山田昌弘・著 文藝春秋・刊 1,500+TAX円
「社会を変えなくっちゃ!」と改めて思った本。
児童虐待も、母子心中も、理不尽な殺人の増加もみな、格差社会が生み出したもの。現象としての格差が問題なのではない。貸本主義の自由主義経済社会に生活しているのだから、格差は当然であるし、むしろある意味では望ましいことですらある。努力した者が報われて、怠けものが痛い目に遭う。これは当然なことだ。
 しかし、努力しても報われない。将来を指し示す希望さえも持てないとしたら、これは問題である。
 山田氏は前著でこれを「希望格差社会」と言った。
子育ては大きな「負債」を背負い込むことであり、生活リスクである。でも、何時までもこのままにしておいて良いのだろうか。将来への見通しも何もない若年世帯が子どもを生み破綻した家庭を作り、貧困を再生産させる一方で、リスクを避けるカップルは非婚、子無しを選択し自分たちだけの楽しみを最優先させる。
このような日本であって本当に良いのだろうか。
著者の提言は決して不可能なことではない。実行に移すのは誰なのか。自分たちの選挙での一票にその思いを込めるしかないのだが。


不平等が健康を損なう 
イチロー カワチ/ブルース・P. ケネディ・著 西信雄/中山健夫/高尾総司/社会疫学研究会・訳 日本評論社・刊 2,400+TAX円

ある意味では、分かり切ったこと、自明のことを書いているのだが・・。
 経済的不安は健康を損なう。
それは医者にかかる金がないとか、医者のかかる金すら惜しむという意味からではない。将来の不安、経済的な不安が、精神的な病を増進するという意味でだ。興味深いのは、社会的ネットワークの大小と風邪の罹患率とがリンクすると言うことだ。身近に相談できる人、頼りになる人がいるといないとでは、かくまで違うのだ。そして、それは経済的な状況ともリンクする。
 経済格差を少なくする施策が望まれる所以である。
また、経済的な困窮がそのまま健康にリンクするわけではないことも興味深い事実である。関係があるのは自分と周囲との格差、すなわち、絶対的な貧困ではなく相対的な貧困がより影響するのだ。 
「第7章 消費による社会へのつけ 要塞町の登場」で 筆者は、裕福に人たちが犯罪から自分たちを守るために自費で治安を守ろうとする動きを批判している。確かに庶民の立場から歓迎するものではないが、行政の足りない部分を自費で補う動きは仕方のないことだろうと思う。自分の限られたリソースを「娯楽」に使うか「安全」に使うかは個人に委ねられるべきで、「安全」に使ったからと言って責められるべきものではない。


反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅誠・著 岩波書店・刊 740+TAX円
「すべり台社会」とは、ピッタリの表現だ。
私は「有給休暇」を完全消化したことがない。権利だから行使できるはずだが、職場の状況はそれを躊躇させる。「有給休暇」を行使しないことが美徳のような雰囲気さえあるのが日本の多くの職場の実態だろう。
 「生活保護」や「就学援助」の制度にもそのような傾向が見られる。制度があり該当する人が多くいるのにもかかわらず、それを利用しないようにあの手この手で圧力をかける。
 著者はその点を突いている。何がそうさせているのかと、更に窓口での強制に近い「指導」。意思に反し「生活保護」を返上して自殺したり、餓死したりした事例の背後にあるものは何だろうかと。
 「義務教育」という制度があり、もし就学率が20パーセント台だったら、文部科学省や出先の教育委員会、学校は褒められるのだろうか。
 「生活保護」という制度があり、その適用対象者が数多くいるのに、申請しないようにあの手この手で細工する。そして、実数が少なくなるように努力する。その結果、厚生労働省や社会福祉事務所は褒められるのか。叱責されるのか。
 私たちは、真に困っている人々に優しく手を差し伸べる社会を作ろうとしているのか。それとも、救いを求める手を、振りほどき蹴落とし、嘲笑する社会を作ろうとしているのかどちらだろうか。


子どもの貧困―子ども時代のしあわせ平等のために 浅井春夫/湯澤直美/松本伊智朗・編 明石書店・刊 2,300+TAX円 
マスコミが騒ぎ立てる少年犯罪の急増、凶悪化(警察庁のデータからはそうとばかりには読み取れないのだが)で、少年法が改正され我が国は厳罰化の道を辿ることになった。
 これによって少年犯罪は減るだろうか、少年たちは罰が恐ろしくて、非行を止め、暴走族を解散するだろうか。
 これらの根底には恵まれない家庭環境、それを助長する「貧困」の問題が横たわっている。これらの子どもたちが格差の再生産をしないようにするためにも、社会防衛のためにも、思い切った貧困対策、貧困階層からの脱却支援策が求められている。
 「自己責任」という名の政治の責任放棄、弱者の切り捨ては確実に日本の将来を蝕んでいく。
著者の一人は、子ども時代の"飛び級はいけない"という。学校の飛び級ではない。今は高校進学を選択する生徒が殆どを占める時代。経済的な理由で、高校へ行かないことは、「子どもの時代」を"飛び級"してしまうことだと。高校は、教科の学習をすると共に、友だちとの関わり方、クラブ活動等を通して、社会へ出て行くためのスキルも学ぶところでもある。その段階を"飛び級"してしまうことは、人間形成のためにハンディを負うことになると言うのだ。
 また、学力テストでの入学選抜は一見公平なように見えるが、そもそも、貧困で学習の価値に否定的な親のもとで育った子どもたちに、まともな学力が育つはずもなく、そのことを考慮しない選抜は、その段階で既に不公平を内包している。
 親の生活態度、人生への見方に、子どもには何ら責任はない。しかし、彼らの人生はその親に規定されてしまい、貧困の再生産、格差の再生産を生みだし、次第に社会を蝕む。
 刹那的な犯罪を防ぐためにも、所得の再分配の仕組みは考えていかなければならないだろう。
 心の片隅に若干の違和感は残るが。



教育格差が日本を没落させる 福地誠・著 洋泉社・刊 760+TAX円
題名や扱う内容の深刻さと対照的に、読み易い本だ。
編集、文体が良いのか。それとも、作者の才能か。電車やバスの中でパラパラと目を通して損はしない。
 そして、現代教育の直面する問題を概括してほしい。その種の本としてお勧めの本だ。
著者の教育に関する本としては2冊目。
題名に前作ほどのインパクトはない。(前作の題名は余りにも挑発的だったという点もあるが)
 当時とは異なり「教育格差」という問題に社会が慣れて(鈍感に?諦めて?)しまったということもあるだろう。
次の5つの章立てで、論を展開する。
1 拡大する教育格差
2 「平等」を捨てた公教育
3 抜け出せない階層の連鎖
4 カネで学力を買う時代
5 教育に投資せず日本に未来はあるか
著者のもう一つの顔は、東大教育学部出身の麻雀ライター。
我々の思いも付かない様な方面までコネクションがある。その豊富な人脈を駆使したインタビューやエピソードの引用も興味深い。
今のままでは「教育格差」は進むばかりだ。
 熱心な親にとっては、自分がそれなりの教育投資をしているので親の姿勢による「格差」は許せるが、住む地域による「格差」は許せない。それを克服するために「私学」や「公立一貫校」へ行くという新たな格差が生じる。そして、「教育に熱心な」「ある程度生活にゆとりのある」家庭が殆ど抜けた地域の学校は・・・・。
 公教育が「平等」を捨てたとき、子ども達の受けられる教育は「家庭」によって決まってしまう。そのような社会は急速に活力を失う。 と、筆者は指摘する。
 カエルの子はカエル、ミジンコの子はミジンコではなくて、醜いアヒルの子が白鳥になるような社会でないと未来はないのだと。
 そのような問題を少しでも改善しようと、東京都が経済的に苦しい家庭へ塾代を支援する制度を始めた。ところが意外にも申込は極めて低調だった。そのような家庭の多くは、その興味さえないのだ。
そして、格差は再生産されていく。
 働き蜂と女王蜂とには資質に大きな違いはない。違うのは環境で、特別に保護されロイヤルゼリーを与えられ続けた蜂だけが女王蜂になる。
 今の日本は、ロイヤルゼリーを与えられる家庭からしか、エリートはでなくなっている。
これも筆者の言葉だ。
言い古された表現だが、要は「親の姿勢」なのだ。親の考え方、振る舞い方で子どもの将来は決まる。
 そうすべき、そうしたいと思っていても、経済的、社会的な理由で、「そうあるべき親」になり切れない人がいるのも現実なのだ。もちろん、「そうあるべきだ」ということすら知らない無関心な親も。
 これら解決するのは「政策」しかないのだが、与党きっての「文教族」だという元文科大臣(ラサール→東大法学部→大蔵省主計局→代議士)であのていたらく(失言・放言・妄言での更迭)だ。我々はどこにこの救いを求めたらよいのだろうか。
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by taketombow | 2008-12-01 23:28 | 私の本棚から  

ADHDと愛着障害

 今、愛着障害(反応性愛着障害)に注目している。

もともと、愛着障害は、手酷い児童虐待、遺棄などで実親から養育を拒否され実親との間で「愛着」を形成できなかった子どもが、里親、養護施設職員など愛着形成者による育て直しの過程で、顕在化し愛着形成者を困惑・混乱させることで注目されるようになった、「人間関係の障碍い」だという。

それが、施設の児童でも、里子に出された児童でもなく、一見して普通の家庭の児童にも現れてきているように感じるのだ。

今、非行少年・ADHD・アスペルガーの可能性が推測されている児童生徒のかなりの部分がこの愛着障害または愛着障害との複合障碍ではないかと見ている。

 最近のニュースに登場する悲惨且つ残虐な事件の加害者たちの言動には、この愛着障害の特徴が見られるような気がしてならない。

実の親に養育されながら、なぜ愛着の形成ができないのか。

 そこには、子育てよりも現在の自分たちの楽しみを優先させる未熟で刹那的な親たちの生活姿勢、薬物依存、DV、被虐待経験、貧困、重度な情緒・精神障害等の問題が横たわっている場合が少なくない。


子どもたちを救うためには、先ずその親を救わなければならない。しかし、現実は「自己責任!」「甘えるな!」「財政再建!」のかけ声の下に、正反対の方向へ動いているのだ。

かといって、そこまで学校が担うには荷は余りにも重すぎる。


 私たち一般人が読んでも分かる愛着障害に関する書物は余りないが、私が読んで参考になった本を以下に幾つか挙げる。

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・児童相談所や養護施設で愛着を再形成するための方法論
愛着障害と修復的愛着療法―児童虐待への対応 テリー・M.リヴィー/マイケル・オーランズ・著 ATH研究会/藤岡 孝志・訳 ミネルヴァ書房・刊 6,400+TAX円



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・これも治療方法についてのべている
心的外傷を受けた子どもの治療―愛着を巡って ビヴァリー・ジェームズ・編/著
三輪田明美/ 高畠克子/加藤節子・訳  誠信書房・刊 4,000+TAX円



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・精神分析的治療法について述べたもの
被虐待児の精神分析的心理療法―タビストック・クリニックのアプローチ メアリー・ボストン/ロレーヌ・スザー・編/著 平井正三/鵜飼奈津子/西村富士子・監/訳 金剛出版・刊 3,400+TAX円



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・唯一一般人が読んでも何とか分かる入門書
子を愛せない母 母を拒否する子 ヘネシー澄子・著 学習研究社・刊 1,500+TAX円



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・「ペンギンハウス」等の養護施設の職員が泊まり込み、疑似家庭の中で育て、愛着を形成していく過程を追ったドキュメント
「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦 椎名篤子・著 大和書房・刊  1,700+TAX円



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・障がいが虐待の引き金となりそれが更に障がいの原因となるという悲しい現実
子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)  杉山登志郎・著 学習研究社・刊 1,700+TAX円



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・内面を傷つけられた人は、極端な場合、犯罪や殺人など他者を傷つける行為や、自殺や薬物中毒など自滅的な行為に走り、あるいはノイローゼや心身症に陥る。これらの行動は、幼児期に受けた迫害の無意識の再現なのだ。
魂の殺人―親は子どもに何をしたか A・ミラー・著 山下公子・訳 新曜社・刊 2,800+TAX円



昔、「母原病」という言葉が流行った。子どもたちの呈する諸症状は、母親の育て方に問題があるとする名古屋市の小児科医久徳氏が著書の中で用いた言葉だ。子育てに最も多くの労力を費やす母親に、子どもの病気の責任まで押しつけるようで、私は嫌いな言葉だった。
 しかし、乳児期までの子育ての問題という観点からすれば、今なら一部は頷ける様な気もする。もっとも、「母原病」でなくても「父原病」て言っても良い場合もあると思うが。

以下に、反応性愛着障がい、注意欠陥多動障がい、双極性障がいを比較した表を貼り付ける。
愛着障害と他の障がいとを見分ける参考になるかもしれない。このブログでは表は表示できないので画像に変換してある。一部表記がおかしい部分があるのは私の変換ミスだ。正しくは出典をあたって欲しい。

クリックすれば、辛うじて読める程度には拡大表示される。
(出典 「子を愛せない母 母を拒否する子」資料編P136~P141)
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※「双極性障がい」とは従来「躁鬱病」と呼ばれていた精神疾患で、気分障害の一つだ。
ここに書かれているのは、あくまでもアメリカの幼少年期の症状に限定してのことで、社会環境が異なる日本では、合致しない部分もあるかもしれない。
 正しい情報は 日本うつ病学会双極性障害委員会のWEBから得られる。参考までにURLを記載する。
http://www.secretariat.ne.jp/jsmd/sokyoku/index.html

気がかりなときには、必ず専門医の診察を受け(させ)ること。素人判断は治療の機械を逸することにもなり、危険でさえある。
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by taketombow | 2008-07-31 00:24 | 私の本棚から  

「科学的」とは何か

最近「水」ビジネスが盛んである
天然水、湧き水、ミネラルや塩分を補った水程度までなら分かるが、「波動」水、「分子構造を変えた」水等いろいろある。

 それらについては、一応、様々なテータが添付され「科学的」な説明がなされているが、私が今まで学んできた物理学の知識ではどうしても理解できないことばかりだ。

 ある特定の機器のみで測定できる「波動」とは何なのか。一般的な学術用語で言うとどんな言葉にあたるのか。それは一般化できる概念なのか。そもそも水の分子構造は変えることができるのか。また、それを「水」と言って良いのか。それは一般的な方法で検証できるのか。

 等々、謎は深まるばかりだ。

 その他の分野でも、私たちは「科学的」と言われると何か納得したような、分からないと「バカ」と言われそうな気がしてしまう。

 その他にも高額な金属鍋商法、浄水器商法など「科学」を装った事件は後を絶たない。日常的には「血液型性格占い」等は既に市民権を得てしまっている。

 そもそも「科学的」とはどんなことだろうか。「疑似」科学、「エセ」科学と科学との境界はどこにあるのだろうか。その解を求めて3冊の本のページを繰り始めた。

 自分の頭の中で、科学とは

論理的であるもの。
再現性があるもの。(追試が可能なもの)
可逆性のあるもの。
「原因」と「結果」の関係が明確なもの。

等と大まかなイメージを持っていた。


1冊目の「科学とはなにか」を読んですぐに、その考えは正しくないことに気付いた。そう規定すると科学は物理学と化学の極めて狭い分野だけに限定されてしまうことになり、医学、心理学天文学などのほとんどの分野は「科学」的ではないことになる。
 読了は相当先のことになりそうだ。

科学とはなにか 科学的説明の分析から探る科学の本質 森田邦久・著 晃洋書房・刊 2,400+TAX円
科学が正しい理由 ロジャー・G・ニュートン・著 松浦俊輔・訳 青土社・刊 2,800+TAX円
人間にとって科学とはなにか 湯川秀樹/梅棹忠夫・著 中央公論新社・刊 絶版
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by taketombow | 2008-05-05 12:55 | 私の本棚から  

この国の10年後,20年後は? 教育の”今”を読み解く 

先日読んだこの一冊の本に衝撃を受け、未だ立ち直れないでいる。
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階層化日本と教育危機 - 不平等再生産からの意欲格差社会へ
 苅谷剛彦・著 有信堂高文社・刊 3,800+TAX円

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 私は、今まで、「個性の伸長」という点で、「ゆとり教育」には肯定的な立場をとってきた。しかし、それが社会・家庭・経済等の環境に恵まれない階層の子ども達には、意欲を失わせ学力格差を拡大させる結果になっているという苅谷氏の提示するデータに愕然としたことと、このような本が2001年に出版されていたのにもかかわらず、今まで書名さえも知らなかったという二つの事がショックだった。

改めて、手元の本で教育にかかわる論議を読み返してみた。

☆ 「学力を問い直す ―学びのカリキュラムへ―」 佐藤学・著 岩波書店・刊 480+TAX円

で、佐藤学氏は、
 ・日本の小中学生の学力は、かつてより低下傾向にあるが、まだ世界のトップレベルを保っているが、大人の科学的な教養や関心は先進12カ国中最下位であること、つまり子どもより大人の教養衰退の方が遙かに深刻であること。
 ・大半の子ども達が学年を追うに従って勉強をしなくなる「学びからの逃走」が深刻化していること。
 ・「学びからの逃走」「学力低下」は社会的に低い階級階層ほど激しく進行しており、男子より女子に強く作用していること。
 を指摘している。
そして、「学力低下」問題は「学力低下」そのものよりも、それを巡る施策・政策の方により大きな問題があると主張する。


☆ 「学びから逃走する子どもたち」 佐藤学・著 岩波書店・刊 440+TAX円

では、まず、イメージが先行する「子どもの危機」について言及する。
・「いじめ」「不登校」「少年犯罪」「学級崩壊」等の教育の危機を、マスコミは報道するが、それは公式データから見ると、子ども達のほんの一部の危機でしかないこと。
・子どもたちを巡る本当の危機は「学びからの逃走」であること。
・「学びからの逃走」の根底には、モノや事柄、他者への無関心があること
 を指摘している。
そして、「勉強」から「学び」へと学習の質の転換がその解決策だと説いている。


☆ 「習熟度別指導の何が問題か」 佐藤学・著 岩波書店・刊 480+TAX円

では、「学校の塾化」、「教師の責任喪失」、「サービスへの傾斜」など、公教育の場において習熟度別学習がもたらすデメリットを挙げて「習熟度別学習」そのものに対して批判している。現場の教師からは、指導し易いと好評だが、今回の全国学力調査の結果はその効果を否定している。諸外国では総じてその効果を評価されている「習熟度別学習」が、なぜ日本では効果的ではないのか、非常に興味深い。


☆ 調査報告 「学力低下」の実態 苅谷剛彦/志水宏吉/清水睦美/諸田裕子・著 岩波書店・刊 480+TAX円

は、阪大の調査データをもとに、学力低下の実態、その階層による差の拡大傾向に警鐘を鳴らす。


☆ 公立小学校の挑戦 ―「力のある学校」とはなにか 志水宏吉・著 岩波書店・刊 480+TAX円

 は、どんな困難校でも「教師集団の頑張り」と「行政のサポート」があれば「ここまで出来る!」
という話。教員を質・量的に手厚く配当し、インセンティブを与えれば、地域固有の問題を抱えた学校でも立ち直る。当然予算面でも配慮されたであろう。でも、そのようなことが可能になるのはせいぜい全体の数%程度だ。その他の98%の学校はどうすれば良いか。「処方箋」が必要だ。その「処方箋」を書くのはだれだろうか。


☆ 「誰のための「教育再生」か」(新書 新赤版 1103) 藤田英典・著 2007年岩波書店・刊 700+TAX円

「教育再生」論議に批判的な立場をとっている6名の学者が、一連の改革論議を彼らの立場から検証し、学校現場を「真に再生する」方策を提言する。
 尾木直樹、佐藤学の両氏の主張は平素から様々な場面で述べていることの焼き直し。


☆ 「競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功」 (朝日選書 831)
 福田誠治・著 2007年朝日新聞社・刊 1200+TAX円


タイトルの表現はいささか(?)と思うが。
 この本は、イギリス、フィンランド、日本、アメリカの教育を対比しながら、我が国の教育はどうすべきかを提言している。テスト、点数だけで子ども達を追っても決してよい結果は得られない。イギリスで失敗した方法を我が国は取り入れつつあるのだと。
 著者と我が国の為政者とでは、教育に求めるものが異なる。しかし、傾聴に値する論であることは事実だ。
 ひとつだけ気になるのは、著者の論の根底は、全ての子ども、親、教師について性善説を採っている点だ。残念なことだが、子ども、親、教師にもどうしようもない輩は少数だが存在するのが現実であり、それらの影響が無視できないレベルであることも事実だ。これらをいかにして排除(?)矯正(?)するかの方策も視野に入れた制度が必要だろう。


☆ 「欲ばり過ぎるニッポンの教育」 苅谷 剛彦, 増田 ユリヤ・著 2006年講談社・刊 740+TAX円

 広田照幸氏の「教育不信と教育依存の時代」に通じるものがある。
 私たち国民は教育制度にいつまで「青い鳥」を追い求めているのだろうか。
金、人、モノは減らし、仕事は増やす。そして、ひたすら待遇は下げる。
 今の我が国の教育政策はこのようなものなのだ。今、社会が教育に要求していることが全て満たされたら、家庭は必要ない。


☆ 「教師格差―ダメ教師はなぜ増えるのか」尾木直樹・著 2007年 角川書店・刊 72O円(TAX込)

 タイトルと内容とは余り関係がない。真っ当な教育改革案を提示している。ごく当たり前のことを地道にやるべきと説いているだけだ。
 テレビは学校教育をぶちこわすような内容の番組を流し、政治家・官僚は反面教師に満ち溢れている。そして、教師、学校批判のオンパレード。家庭ですべきことを学校に押しつけることは日に日に増えている。教育への要求は次々と増えて厳しくなるが、取り巻く環境は日に日に悪化するばかり。
 今していることは、若い父親が、泣きわめく子どもを静かにさせようとして、ビンタを張っているようなものだ。
 数十年後にこのツケは何倍かにして国民が払うことになるだろう。
 もちろん著者はここまでは言及していない。


☆ 「先生ってなにする人?―考える力とやさしさが育ったW学級の6年間」
 守屋慶子, 高橋通子・著 2007年 金子書房・刊 2000+TAX円


 W学級の6年間の教育実践の記録。 1年から6年までクラス変えもなく、担任も替わらなかった。その間の子どもたちの成長過程を克明に追う。
 特筆すべきは、リアルタイムの実践記録ではないことだ。卒業後かつての教え子が集まり、その歳月を振り返る。そこへ実践資料や班ノート、学級通信を織り交ぜ再構成している。当時ではなく、30年の歳月を経てから振り返った当時の気持ちだ。
 そこには、子どもとともにも悩み、育った教師と大きく羽ばたく子どもたちの生き生きとした姿がある。


☆ 「平等社会フィンランドが育む未来型学力」 ヘイッキ・マキパー・著 2007年 明石書店・刊 1800+TAX円

 PISAショックをきっかけに、フィンランドの教育が注目されている。そして、その教育制度に関する書籍も数多く出版されている。この本もその類の本だ。
 類書との大きな違いは著者がフィンランドセンターという同国の公的機関の所長が公的資料をもとに書いた本であるという点だ。
 公的資料を基に主観を排除して書いてあるので正確なことは言うまでもないが、面白味には欠けるし、新たな発見もない。
「教育の完全無償制」「少人数教育」「能力別編成」「教員の能力向上」「待遇・社会的地位の安定」を徹底すれば、かなりの問題はクリアできると思うのだが・・。
 現在の為政者は国の将来をどう考えているのだろうか。私たちは国の将来を、とんでもない輩に託してしまったのかもしれない。


☆ 「学力低下が国を滅ぼす」 西村和雄・著 2001年 日本経済新聞社・刊 1500+TAX円

 言い意味でも悪い意味でも、現在の我が国の教育論議を象徴するような本。
 確かに学力低下はあるかもしれない。しかし、その根拠を、日常の感覚やPISAの学力調査だけに求めたとしたら、それは根本的に間違いだ。
 現状を批判し、新たな提言をするには緻密な実態調査と現状分析が必要だ。
 社会構造の変化、児童の現実に目を向けずに、教科増、授業時間増だけで対応できると思っている点は現状認識が甘いと言わざるを得ない。正確なデータに寄らず、現場の実態を踏まえないままの教育論議は「大きな迷惑」以外の何物でもない。おじさま達の茶飲み話の中で重要な政策決定がなされるとしたら極めて憂慮すべきことである。


☆ 「希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」 山田昌弘・著 2004年 筑摩書房・刊 680+TAX円

 現代を読み解く重要な本を選ぶとしたら、間違いなくその中の一冊に選ばれるであろう本だ。神戸女学院の内田樹が著した「下流志向」と併せて読むと更に興味深い。
 若者の学習・労働からの逃走を、内田樹氏は彼らの思考行動から分析し、独特の解釈で説明しようとしているのに対し、著者は将来に希望を持てる人ともてない人との「希望格差」に視点を置いて説明している。
 最近、不可解で、犯罪としては犯人に何の利益ももたらさない凶悪犯罪が増えているが、その原因がこの希望格差にあるのだと。
 頑張ったものは報われるべきだが、弱者、敗者から希望を奪い取ってはいけないのだ。


☆ 「下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち」 内田樹・著 2007年 講談社・刊 1400+TAX円

 「知に働けば蔵が建つ」の著者内田樹氏の教育・若者論は鋭い視点をがあり面白い。その最新作。 2005年6月25日の講演からテープ起こししたものだ。
 子ども・若者のの「学び」「労働」からの逃走がなぜ起きているのかを、目から鱗がとれた観のする理論で説明している。


☆ 「読解力」とは何か―PISA調査における「読解力」を核としたカリキュラムマネジメント 横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校FYプロジェクト・編 2006年 三省堂・刊 1900+TAX円

 OECDが平成15年に実施したPISAの調査結果は、全国の教育関係者だけでなく、国民全体を震撼させた。中でも、「読解力(Reading Literacy)」の低下は人々の目を惹き「学力低下論」と相まって議論の的となった。この本は、生徒が読解力をつけることが出来るような授業を、いかにして行うかプロジェクト研究を進めてきた、横浜国大附中の実践を紹介したもの。もちろん、実践の記録が素晴らしいことは言うまでもないが、読解力の捉え方、PISA問題の分析、学校で作成した「読解力向上プログラム」等の部分は資料としての価値は高い。


☆ 「読解力」とは何か Part2 (2)
 横浜国立大学教育人間科学部附属横浜中学校・編 2007年 三省堂・刊 1900+TAX円


 前年に出版された同名書の続編。 今回は、理論編が少なく実践中心の編集をしている。


☆ 「学力―いま、そしてこれから」 山森 光陽, 荘島 宏二郎・著 ミネルヴァ書房・刊 2200+TAX円

 学力低下論争に参戦しているのは、どちらかというと門外漢の物理学者や教育社会学者である。教授法、学習過程、評価を研究領域としている教育心理学者達はこの問題をどう捉えどう解決していこうと考えているのだろうか。
 その回答の一部がこの本だ。


☆ 「教育格差絶望社会」 福地誠・著 2006年 洋泉社・刊 952+TAX円

 保護者の経済力、学歴、住む地域、通う学校によって子どもの受ける教育に差があることは否定できない。この本の価値は、「教育の機会均等」が幻想でしかなくなり「生まれによる属性」で決まるという現実と、諸外国に比べ教育費に占める公的負担が少ないという現実を、豊富なデータで実証的に論じていることである。
 また、格差が拡大、固定化することにより社会がどのように変化していくかを予測し警告を発している点だ。


☆ 「世界の教育改革〈2〉OECD教育政策分析―早期幼児期教育・高水準で公平な教育・教育的労働力・国境を越える教育・人的資本再考」
OECD, 経済協力開発機構・編 御園生純, 川崎陽子, 高橋聡, 稲川英嗣, 小杉夏子・訳 2006年 明石書店・刊 3800+TAX円


 OECD教育政策分析2002年度版の完訳書。
「早期幼児教育」「高水準で公平な教育」「教育的労働力」「国境を越える教育」「人的資源再考」の5章構成。素データと簡単な解説のみ、ある程度の知識がないと読み取りは難しい。


☆ 「どうする「理数力」崩壊 子どもたちを「バカ」にし国を滅ぼす教育を許すな」
西村 和雄, 松田 良一, 筒井 勝美・著 2004年 PHP研究所・刊 1600+TAX円


 学習塾経営者(精神科医)、経済学者、教養学部の教員がそれぞれの立場から見た現在の教育について支離滅裂に語る。一冊の本ととして見た場合、論旨にまとまりがないが、唯一、学力低下の原因として「ゆとり教育」への批判だけは一致している。
 確かに、子どもたちの学力は低下しているようには感じる。でも、それは本当に「ゆとり教育」のせいだけだろうか。学習内容を一つ前の指導要領に戻したら、子どもたちの学力は一昔前のように良くなるのだろうか。答えは「否」だと思う。


☆ 「教育格差―親の意識が子供の命運を決める」 和田秀樹・著 2006年 PHP研究所・刊 1200+TAX円

 自分の子の教育に無関心な親の意識を、がらりと変えるはずだ。中学受験の現状、東京都での私立等中学への進学率、中高一貫校の躍進と公立名門校凋落の背景等々既に明らかになっていることなのだが意外に知られていない事実に愕然とするかも知れない。


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2月15日、文部科学省から、次期学習指導要領の改定案が公表された。 
先には教育三法が改定され、教員評価、学校評価、教員免許更新制等々が4月から実施されていく。
 学校を巡っては、 ”いじめ” ”不登校” "学力低下" "安全対策" "モンスターペアレント" "給食費不払い" "学級崩壊" 等々の問題が指摘されている。

 リッチフライト、ブライトフライトの傾向が日本でも顕著になると、公立小中学校を巡る環境は更に厳しさを増す。「自分の子さえよければいい」このような考えが社会の大勢を占めたとき、公教育は崩壊し、恵まれない階層の子ども達には疎外感と諦めが拡がる。そして、それは社会全体を蝕んでいく。

 それは決して遠い将来のことではない。

教育三法や指導要領の改定は、果たして、今日的なこれらの課題の解決策となり得るのだろうか。
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by taketombow | 2008-02-16 19:39 | 私の本棚から  

子どもの頃に心躍らせた本は?

 
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 先日、「子どもの頃に心躍らせた本はどんな本ですか?」と聞かれた。

小学校の3年までは郷里の学校だった。
山の中で本屋はおろか駄菓子屋もない。戦後の混乱をまだ引きずっていて皆が「平等に貧しい」時代だった。子どもも親も毎日の生活に追われ、本など無縁の生活だった。
 
 本に触れるようになったのは、こちらに出てきてからだ。
最初に住んだ家の直ぐ隣は市内でも有数の大書店だったが、それも私を本の世界へ誘うきっかけとはならなかった。折しも創刊されたばかりの「少年マガジン」「少年サンデー」を立ち読みするだけが関の山だった。
 そんな私が本に触れることが出来たのは、公共図書館のお陰だ。都心の「栄(当時は栄町と言った)」に「栄図書館」という図書館があった。クラスの友だちに誘われて屡々そこへ通った。子どもの足で歩いて片道30分近くかかる。でも、何の苦にもならなかった。
 岩波の児童書は他の本とは少し違う。厚い布貼りでやや古いのだが誰も読まないので本は傷んでなく新しい。それらの中に時折、掘り出し物のように面白い本が混じっていた。児童図書室の一番奥の少し薄暗い片隅にそれらはいつもあった。

その頃読んだ本で今も心に残っているのは
「夢を掘りあてた人」 ヴィーゼ・著 大塚 勇三・訳
「空の王子たち」 ボードウイ・著 安東次男・訳
だ。
 「夢を掘りあてた人」はトロイの遺跡を初めて発見し発掘したシュリーマンの伝記だが、その後の考古学者の間での評判はすこぶる悪いので、自分の夢も汚されてしまった気分がしている。
 「空の王子たち」と言う本、つい数日前までは本の題名さえも忘れてしまっていて分からなかったものなのだ。それなのに、遙か数十年前に絶版になった本の実物(しかも帯付きの初版本)が、今、私の手元にある。
 子どもの頃心躍らせた大空への挑戦物語。茶色く変色したページを1ページずつ丁寧に繰りながらその頃を反芻している。

11月18日(日)に入手した本
風の王子たち ボードウイ・著 安東次男・訳 岩波書店・刊(絶版) 200円(当時)
長野県西部地震に学ぶ 木曽郡校長会・編/刊 斡旋価格1200円(当時)
ミッドナイトイーグル 高嶋哲夫・著 文藝春秋・刊 848+TAX円
なぜ日本人は劣化したか 香山リカ・著 講談社・刊 700+TAX円
ネット君臨 毎日新聞取材班・編 毎日新聞社・刊 1,400+TAX円
東海道新幹線歴史散歩 一坂太郎・著 中央公論新社・刊 1,000+TAX円
天狗はどこから来たか 杉原たく哉・著 大修館書店・刊 1,700+TAX円
ちょっと昔の道具たち 岩井宏實・著 中林啓治・イラスト 河出書房新社・刊 1,200+TAX円
平家物語図典 五味文彦/櫻井陽子・編 小学館・刊 3,800+TAX円
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by taketombow | 2007-11-18 16:14 | 私の本棚から  

でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相

d0054692_1613594.jpg書名:でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相
著者:福田 ますみ (著)
定価:1400+tax ¥ 1,470 (税込)
発行:新潮社 (2007/1/17)
ISBN: 978-4103036715


「現代マスコミ」と「官僚機構」の体質が生み出した冤罪を扱う。

 自分の先入観をもとに、十分な裏付け取材もせず、警察や関係者の発表だけで記事化する記者、「頭を下げれば済むだろう」とばかりに、きちんとした事実確認もせずひたすら事態収拾だけに走る関係者。
 このような無責任体質が、一人の教師を「殺人教師」とまで呼ばれる冤罪事件の被告に仕立て上げた。
 一昔前は、たとえ教師側に過失があっても、頭を下げれば解決した。だから、たとえ(学校側に)過失が無くても「頭を下げて相手の気が済むなら・・」という雰囲気が現場には残っているかも知れない。
 しかし、今は違う。事実は事実、誤解は誤解、曲解は曲解と正確に確認しておかないととんでもないことになる。

 その、典型的な例となる事件だ。

 事件が起きると被害者と加害者が生じる。そして、その事件が「いじめ」や「体罰」だったら、どうしても、報道が「被害者?」寄りになるのは仕方がないことだろう。しかし、それが虚言癖のあるクレイマー保護者によるものだとしたら問題はとんでもない方向へ発展する。地域住民なら誰でも知っているような虚言癖、それを見抜けず主張を鵜呑みにしてしまった報道機関の側には大きな責任がある。 しかし、丹念な周辺取材により「被告」となった教師の潔白、「原告(保護者)」の主張が全くぬれぎぬだったことを明らかにしたのも、同じ言論界に身を置く人間だ。損害賠償請求公判の場で、原告の主張の支離滅裂さ、ろくな診察もせず、PTSDと診断した大学医学部精神科医師の無責任さが露呈する場面の描写が小気味良い。

それにしても、マスコミ誤報による冤罪はよくあるが、その後の責任あるフォローは余り見たことがない。この事件も、この本が出版されなかったら私は知らなかっただろう。

 いつものことながら、この事件も火を付けたのは、あの全国紙A紙だ。当然のこととして「殺人教師」と烙印をおしたまま知らぬ振りだ。 地元紙も同様。

 この著者による
「新潮45」平成16年1月号「『教師によるいじめ訴訟』全真相」
「中央公論」平成18年1月号「福岡・小学生体罰事件 稀代の鬼教師か、冤罪か」
も併せて読むと良いだろう。(本書とほぼ同じ内容だが)

 反対の立場を取っている「週刊文春」の記事も読むと争点が明らかになる。

 しかし、この被告教師の頼りなさは何だ。証言が心許ないから、周りが支えきれなくなるのも事実だろう。

[book][本][media][教育]「血が穢れている」覚えてます? 本棚■でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相
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by taketombow | 2007-02-04 16:21 | 私の本棚から  

初心者版 土鍋で自慢おかず

d0054692_1226820.jpg夏梅美智子 著 主婦と生活社 刊
ISBN:4391131099
定価 1470 (1400+TAX)円

 ネット上の知人にWakkyさんという方がいる。
山旅メーリングリストを主宰している方だ。リアルではお会いしたことがないが、もしかしたら人間ではなく「怪物」かもしれない。今年は太平洋から日本海まで1ヶ月かけて縦走したとか、とにかく並はずれた意志と体力の持ち主なのだ。
 彼に触発されて最近土鍋に興味を持った。できれば、冬山へ持参し、山上で温かい鍋料理を食べてみたい。
 そこで、手にしたのがこの本。まず、基本的なことはこの本で身につける。
そして、簡略化できるところは徹底的に省き、厳冬期の山上で吹雪く中での鍋料理にありつくことを考えている。

 旨いだろうなあ。 でも、相当寒いはずだ。
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by taketombow | 2005-12-24 12:40 | 私の本棚から