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里の秋

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 昨日、勤労感謝の日、勤務先の地域で行われた「歩け歩け運動」に参加した。山頂から始まった紅葉は、ようやく里まで降りてきて、紅葉真っ盛りだ。
 小幡緑地公園と野鳥の森の中、落ち葉を踏みしめ山鳥の囀りを耳にしながら6キロほどの道のりを1時間半かけて歩く。やや肌寒いほどの気温だったが、歩き始めるほどに体が温かくなり、軽く汗ばむほどだった。

 今、人里は秋だ。



秋と言えばこの歌

里の秋
 斎藤信夫作詞・海沼実作曲


静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた


明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す


さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります

 敗戦の年、昭和20年12月24日、午後1時45分からNHKラジオで,「外地引揚同胞激励の午后」という番組を放送した。戦地から復員してくる将兵を励ますためのものだった。
 番組のなかで川田正子が歌った新曲がこれだ。戦災で荒廃した国土にそのメロディが流れた。少女の歌声にたくさんの人々は思わず聴きいり,歌い終わるや否やリクエストが殺到し、番組中にもう一度歌ったという。
 故国、家族との再会を夢見て復員船に乗り込む父親、その無事な帰還を待ちわびる家族の心情を見事に表現している。
 時代が過ぎ、復員、引き揚げ、敗戦等の言葉が、次第に現実味を失うにつれて、3番の歌詞は歌われなくなってきている。

 この歌は、大東亜戦争勃発の日、斎藤信夫が作詞(曲は付けられなかった)した「星月夜」が元となっている。

「星月夜」の3番、4番の歌詞は以下の通りだ。その時代の世相を映し出している。


きれいなきれいな椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ父さんのご武運を
今夜も一人で祈ります


大きく大きくなったなら
兵隊さんだようれしいな
ねえ母さんよ僕だって
必ずお国を護ります


開戦、終戦、そして今、この歌は姿を変えて、私たちの心を癒している。
「星月夜」の3番、4番、そして「里の秋」の3番が必要な世の中にならないことを願いたい。
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by taketombow | 2006-11-24 17:10 | 雑感  

教えてあげない!!

 昨夜、仕事の打ち上げで久しぶりに「栄」へ行った。

昨夜のメインは勿論「打ち上げ」だが、私にはその他に2つ目的があった。

 一つは山道具店で「マップポインター」を買うこと。マップポインターというのは、いわば、GPS用の定規だ。これと2万5千分の一の地図とGPSがあれば、GPS電波が受信できるところなら何処でも、現在位置が分かる。今まで数回買いに来たのだがいつも品切れで買うことができなかった。これは、会の始まる前に首尾良く買うことができた。

 もう一つはある焼酎バーを探すことだ。

mixiへの書き込みと経営者のblogを見て興味を持った。

 豊富な焼酎の品揃えと野菜料理が自慢だという。焼酎の品揃えは結構何処にでもあるが、野菜料理を自慢にするところはどんなところかなと興味を持ったわけだ。皆と別れてから、グルメの同僚を連れて店へ向かった。
 その店は、栄(住吉町)のとあるビルの地下にある。店の戸を開けてもカラオケの大音量が響くわけでもないし、女性の嬌声が聞こえるわけでもない。年配のサラリーマン風の客がカウンターで静かに酒を飲んでいる。大声で話す客もなく、静かにゆったりと時が流れている。何よりも好ましいのは、客を必ず名前で呼ぶことだ。
 切り盛りしているのは二人の女性。客が彼女らを呼ぶときも名前で呼ぶ。勿論「ママさん」なんて呼ぶのは、私のような一見の客だけだ。
 料理は里芋を食べたかったが、もう品切れということで、ギンナンとおでんとざるうどんを食べた。おでんは味がしっかりしみ込んで美味しかった。だが、「文化麺類学」の権威(?)の私としては、ざるうどんをお勧めしたい。麺に徳島県産の玄米粉を80パーセント混ぜ込んであるとかで、麺の表面は柔らかく口に入れて噛むと芯に腰がある。これだけを目当てに行ったとしても大きく得をした気分になれるはずだ。

 バカ騒ぎ、大騒ぎ、気遣いは若い奴らに任せておこう。料理に舌鼓を打ちながら一人静かに酒を味わう。そう言う飲み方をしたい店だ。

 ごく親しい仲間には自慢したいが。あまり人には教えたくない。良さの分からん奴らに荒らされて堪るか!

 夢みたいな店
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by taketombow | 2006-11-19 22:08 | 雑感  

快晴→山時雨→霙→吹雪

 約1ヶ月ぶりに鈴鹿へ行った。
今年は紅葉の時機を逸してしまった。せめて、落ち葉に覆われた山道を歩こうと思ったのだ。

天気予報では快晴。

しかし、山の天気は分からない。一応雨具とウインドブレーカーは持った。
いつも通りの始発バスに乗り、中川行きの近鉄急行に乗った。四日市で湯の山線に乗り換え暫くすると、案の定、雲行きは怪しくなってきた。雨粒がパラパラと電車の窓を濡らす。山の方を見ると峰の頂付近は黒い雲に覆われていた。湯ノ山温泉バスターミナルでは既に雨。この時点でコクイ谷出合は諦め、御在所岳を目的地にした。雨具を着て歩き始めたのは、数年ぶりだ。最近は、出発時に雨が降っていたら、行かないことが多い。
 高度を上げるにつれて、雨は雪混じりの霙となり、本格的な雪へと変わっていく。
行動中の身体は寒さを感じないが、手が寒い、冷たい、痛い。やっとの事で山上に到着したら、山上公園一帯はもうすっかり冬の装いをしている。持参の土鍋で、味噌煮込みを作り下山を急いだ。流石に雪道を下山する気にはなれず、山上レストランで熱燗を一杯ひっかけてからロープウェイで下山した。

山上公園の散策路もこの通りに雪の衣装をまとった。
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「霧氷」ではない。枝に雪が積もっただけだ。でも、「霧氷」の季節はもうすぐだ。
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ロープウェイのゴンドラから見た中腹の山肌。紅葉真っ盛りだった。流れるガスの間から一瞬だけ見えた。
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by taketombow | 2006-11-13 22:34 | 私の山歩き  

学校だけの問題なのか? で他の要素もあるのでは?

学校だけの問題なのか、他の何かもっと深い深刻な要因があるのではないか。
それとも、周囲が異常に過敏になり、何でもないことを「いじめ」と反応しているだけなのか。

<福岡いじめ自殺>事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ [ 11月03日 03時02分 ]

 中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。

Excite エキサイト : 社会ニュース

 この報道が事実としたら、学校の指導できる範疇を遙かに超えていると思う。指導には、保護者の理解と協力が不可欠だが、それが全く望めそうもないからだ。

 

 普通の親は、「いじめ」をしないように普段から声をかけ注意を払っているだろう。でも、集団の中でその勢いに乗って「いじめ」に加わってしまうこともあるかもしれない。その場合でも、あのような重大な結果を招いてしまったら、加害者側の生徒や保護者の受ける衝撃は通常の神経をしていれば相当なものになるはずだ。家庭でしっかりと説諭する筈だ。

 ところが、

先に自殺した中2男子生徒の通夜の席で、棺をのぞき込み心ない言葉をかけたりへらへら笑ったりしている姿が報道されている。

 さらに、「同じグループによる別生徒への再度のいじめ」というこの報道だ。

 ごく普通の生徒なら、死に際し「しまった。やり過ぎた」と反省する。通夜の席で死なせてしまった級友に心ない言葉を浴びせるのは明らかに異常な状態だし、それを指導できない(しようともしない)親もまともではない。少なくとも、我が子を指導すべき「保護者」としては全く機能していない。

 法的な強制力を使った指導で罪を意識させ罰し償いをさせるべきだと思う。
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by taketombow | 2006-11-04 09:09 | ニースに接して  

自殺の連鎖を断ち切る

 北海道、福岡、岐阜と「いじめ」による自殺が続いている。

「いじめ」は犯罪である。

 だから「いじめ」を正当化するつもりは毛頭無いが、学校から根絶するのは至難の業だと思う。外国の事は知らないが、少なくとも日本では「いじめ」は社会の病理だからだ。地域社会、会社等の至る所で、罵倒、中傷、無視、仲間はずれ、当てこすり、皮肉は日常茶飯事起きている。それは、正社員、派遣社員、パート社員を問わないし、性別、年齢、学歴、職業をも問わない。

 れっきとした大人が、それなりの社会的地位、収入、学歴、思慮分別、人生経験がある筈の人間でさえもしてしまうのである。

 ましてや、まだ人格として未完成で思慮分別が足りない子どもたちが、しないで済む筈がない。

「あってはならない」ことだが「あって当然」のことでもある。

 だから、今学校に問われているのは、この「いじめ」の早期発見と、迅速的確な対処だと思う。それが出来なかったため、今回のような悲惨な結末となっとしまったのだ。

 社会全体で「いじめ」をなくすべく努力すべきなのに、私たちの社会は、「いじめ」を根絶するどころか国民が総力を挙げて、「推奨」「奨励」「激励」「増幅」「推進」の方向に舵を取り邁進している。

その一つの例が、テレビ等のマスコミの姿勢だ。

ゴールデンタイムのテレビ番組を見ると、その中心はパラエティーの番組だ。その「笑い」の中心は何だろうか。

1 若手芸人や新人タレントに、怖いもの、厭なこと、恥ずかしいことをやらせて、困った顔、泣き顔、当惑顔を見て笑う
2 料理をさせて、その下手さ加減、無知をこき下ろし笑う。
3 クイズをさせて、分からなかったらバカ呼ばわりして、その無知を笑う。
4 相手の身体的特長を嘲り、ブス、デブ、キモイ、キモチワルイ等の言葉で罵る。

 いずれも、学校で起きたら真っ先にマスコミが取り挙げ、批判を連発することだ。
 それを平気で番組にし、公共の電波で流している。家庭は家庭で、それらの低俗な番組にチャンネルを合わせている。
 子どもたちは、タレントがタレントをいじめ困らせ、泣かせ、馬鹿にし、笑いものにしている光景を家族と共に視聴し、虐めること、馬鹿にすることの快感を味わい育っていく。
 
 同じ事が自分の子に起きたら、血相を変えて怒り狂う筈なのにだ。このような番組を日常的に見て育った子どもたちは全く影響がないと本当に思っているのだろうか。

 「心の教育を!」と主張するのなら、まずこのような番組の制作、放映、提供、視聴を止めるべきだ。一方で、その原因を垂れ流ししていながら、その責任を学校だけに求めるのは余りにも無責任ではないだろうか。
 このような番組を制作・視聴することが「いじめ」を減らすために効果があるとでも思っているのだろうか。私たちのこの鈍感さ、無責任さは一体何だろうか。

 学校教育が必死になって指導し育てているものを、手当たり次第ぶち壊しにするような番組を垂れ流しにして、学校に係わる事件の悲惨な結果だけをのうのうとしゃあしゃあと批判している。

この、鉄面皮、無神経、鈍感、節操のなさ、恥知らずには到底ついて行けない。

かように、「いじめ根絶」は至難の業である。


しかし、今すぐしなければならないことがある。
現在続いている「自殺の連鎖」を食い止めることだ。何十年か前、歌手の「岡田有希子」が投身自殺したとき、若者の自殺が各地で相次いだ。自殺には心理的感染性があるようだ。放置しておくと、まだまだ自殺は続く。

 家庭や学校で、一人一人に

1 とても気にかけている
2 大切に思っている
3 生きていてくれることだけでも、とてもうれしい

ていうメッセージを伝えることが必要だ。これは今すぐにでも、誰にでもできることだ。

「いじめ」に苦しみ悩むだけでも重く悲しいことだ。更に、自ら命を絶ってしまうのでは、余りにも悲しいし、辛い。

何よりも本人がだが、周りの者にとってもだ。

「いじめゼロ ホットライン・・・対処療法ですよね」
連鎖自殺を防止せよ
いじめと報道を考える
所詮、理解できない人間は
負の連鎖・自殺の連鎖
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by taketombow | 2006-11-01 23:34 | 雑感