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「人生の扉」

 この頃、ごく普通の何でもない空の青さが妙に美しく見え、早春の山々が若葉の薄緑で染まる様が実に目に心地良い。そして、近所の児童公園ではしゃぐ子ども達の歓声が快い。
 これも、それなりに人生という歳月を多く重ねてきたご褒美かとふと思う。
そんな私の心を「竹内まりや」は実に素晴らしい音楽にして代弁してくれている。

元は協和発酵のTVCMに使われたもの。上質な一つの作品として仕上がっている。見ている間に心の中で思わず「頑張れ!負けるな!」と声援を送っている自分に気付く。


フルコーラスを聴くならこちらがお勧め。


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by taketombow | 2009-05-31 10:53 | 雑感  

フェルメールの青

「青」の色彩が気に懸かる。

青といっても、純粋な青でなく、緑青というか濃い翡翠色という様な色だ。
街中で、そのような色彩を見つけるとついそちらへ視線が行ってしまう。

このような色彩を好むのは多くが女性。
要らぬ誤解を受けぬよう自分の視線に神経を使う。最近の流行色かと思い周囲に尋ねてみるが、そうでもないらしい。

どうしてかなとぼんやり考えていたある日、ふと思い当たることがあった。
フェルメールなのだ。
先日、見たフェルメールの画集にある「真珠の耳飾りの女」に描かれた少女が身に着けていたスカーフの色だ。そうだ、これだったのだ。
改めて画集を眺めると、私の頭の中にイメージとしてある色彩とはやや違う。ネットで探した画像ではその違いは更に開く。
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しかし、私のイメージにあった青はこの色だ。

そう言えば、遙かな昔、憧れていた人も、青いカーディガンがよく似合う素敵な女性だった。

私が読んだフェルメールの本

しりたい フェルメール 生涯と作品 小林頼子・著 東京美術・刊 1,600+TAX円
絵画の巨匠⑤ フェルメール 尾崎彰宏・著 小学館・刊 3,200+TAX円
イージの森の中へ フェルメールの秘密 利倉隆・著 二玄社・刊 1,900+TAX円
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by taketombow | 2009-05-31 10:14 | 雑感  

最高(?)の「うどん」

 私は麺類が好きだ。

うどん、そば、ラーメン、スパゲッティ、マカロニ、春雨、くずきり、マロニー・・・・・。
基本的に長ければ何でもOKだ。

中でも好きなのが、うどん。

冬山へは、土鍋と生野菜、生麺、鶏肉、卵、油揚げ、天かす、赤味噌等々を担ぎ上げ、味噌煮込みうどんを作る。うどんは自分で麺を打つこともある。勿論、そのための道具(のし棒、麺切り包丁、駒板、捏ね鉢)も一通り揃えた。山に行かずに、時間がたっぷりあるときに麺を打つ。

そして、忘れた頃にまた麺を打つ。

先日、久しぶりにうどんを打った。きっかけは米粉を入手したからだ。時おり顔を出す店で実に美味しい米粉うどんを出してくれる。かねてから自分でも米粉うどんを打ってみたいと思っていた。

4時間ほど掛かってできたのがこれ。
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米粉は粘りがない。麺の幅が広くてきしめんのように見えるのは、これ以上細くすると、千切れてしまい麺の形を為さないからだ。麺も、長めのものだけを集めてこの程度だ。

 茹で加減を見るため一切れ口に含むと、炊飯器の蓋の間から流れ出る吹きこぼれ汁のような味がする。
しかし、私は人生を長く生きてきたが、こんな味、食感のうどん(と言っていのだろうか)は今まで食べたことがない。

 私の今までの人生は何と幸せだったことだろうか。

味については、これ以上敢えて言わないし、カミさんのコメントも言いたくない。

どんな物であろうと食品だ。捨てるのは論外。カミさんと顔を見合わせ処分方法を考えたのだが・・・・。
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by taketombow | 2009-05-07 23:36 | 雑感  

(続)詳細を知りたい <体罰賠償訴訟>

最高裁の判決文が見つかった。
平成21(受)981
事件名    損害賠償請求事件
裁判年月日 平成21年04月28日
法廷名   最高裁判所第三小法廷
裁判種別  判決
結果     破棄自判

注 「破棄自判」とは、上告審で下級審の判決を破棄し、最高裁自ら判決を言い渡すことで、民事訴訟に置いては例外。多くの場合は、認定すべき事実が不足しているとして,「破棄差戻」となる。「事実を更に認定する必要がない」という言うことは、最高裁は判決文に書かれたこれらの事実は認めた上で、結論だけが違っていると判断をしたのだ。

 一部の家庭(だと思いたい)では、「しつけ」の名の下に、大声で怒鳴る、罵声を浴びせる、殴る、蹴る、張り倒す、戸外へ放り出す、食事を抜く、DVを目撃させる等々の体罰が日常的に行われている。毎日このような暴力に晒され、辛うじて生き延びてきた子どもたちが、教師の言葉だけの指導にそう簡単に従える筈がない。

 家庭では、大怪我をしない限り、相当な暴力も公認の「しつけ」とされてしまい、外部から救いの手を差し伸べにくい一方で、学校においては、例え、教師や児童への暴力、施設器物の損壊を防ぐためであっても、児童生徒への直接的な身体接触は、基本時には全て体罰とされてしまう。そして、原因となった児童・生徒の問題行動はさておき、教師の”体罰”だけがクローズアップされる。児童・生徒の人権を守るというのが基本的な目的なのだが、そう言う意味からも、教育現場での”体罰”は決して有ってはならないのだ。
 
 だから、家庭での体罰を根絶しない限り、現場の苦悩は続く。

しかし、この判決を巡って最も私の気に掛かったのは、体罰云々のことではない。
下の朝日の記事にもある「親と学校との信頼関係」だ。

なぜ、母親は告訴に踏み切ったのだろうか。(父親の存在は?)

判決文で確定した事実関係の概要は,次のとおりだ。

(1) 被上告人は,平成14年11月当時,本件小学校の2年生の男子であり,身長は約130㎝であった。Aは,その当時,本件小学校の教員として3年3組の担任を務めており,身長は約167㎝であった。Aは,被上告人とは面識がなかった。
(2) Aは,同月26日の1時限目終了後の休み時間に,本件小学校の校舎1階の廊下で,コンピューターをしたいとだだをこねる3年生の男子をしゃがんでなだめていた。
(3) 同所を通り掛かった被上告人は,Aの背中に覆いかぶさるようにして肩をもんだ。Aが離れるように言っても,被上告人は肩をもむのをやめなかったので,Aは,上半身をひねり,右手で被上告人を振りほどいた。
(4) そこに6年生の女子数人が通り掛かったところ,被上告人は,同級生の男子1名と共に,じゃれつくように同人らを蹴り始めた。Aは,これを制止し,このようなことをしてはいけないと注意した。
(5) その後,Aが職員室へ向かおうとしたところ,被上告人は,後ろからAのでん部付近を2回蹴って逃げ出した。
(6) Aは,これに立腹して被上告人を追い掛けて捕まえ,被上告人の胸元の洋服を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(以下,この行為を「本件行為」という。)。
(7) 被上告人は,同日午後10時ころ,自宅で大声で泣き始め,母親に対し,「眼鏡の先生から暴力をされた。」と訴えた。
(8) その後,被上告人には,夜中に泣き叫び,食欲が低下するなどの症状が現れ,通学にも支障を生ずるようになり,病院に通院して治療を受けるなどしたが,これらの症状はその後徐々に回復し,被上告人は,元気に学校生活を送り,家でも問題なく過ごすようになった。
(9) その間,被上告人の母親
は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,Aの本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた。


事実認定を読む限り、当該児童への「適切な」指導は必須である。指導をしない教師が居たとしたら、それは無責任だ。しかし、今回の場合、「体罰」と認定するかどうかは別としても、その方法において「不適切」「行き過ぎ」な部分が有る点は否めない。言葉による「謝罪」程度のことはしている筈だ。
 なのに、「その間,被上告人の母親は,長期にわたって,本件小学校の関係者等に対し,Aの本件行為について極めて激しい抗議行動を続けた。」のは、なぜだろうか。

 このような事案では、いつも、問題のすり替えが行われる。

 教育の現場として、問題とすべきは、

(2) Aは,同月26日の1時限目終了後の休み時間に,本件小学校の校舎1階の廊下で,コンピューターをしたいとだだをこねる3年生の男子をしゃがんでなだめていた。
(3) 同所を通り掛かった被上告人は,Aの背中に覆いかぶさるようにして肩をもんだ。Aが離れるように言っても,被上告人は肩をもむのをやめなかったので,Aは,上半身をひねり,右手で被上告人を振りほどいた。
(4) そこに6年生の女子数人が通り掛かったところ,被上告人は,同級生の男子1名と共に,じゃれつくように同人らを蹴り始めた。Aは,これを制止し,このようなことをしてはいけないと注意した。
(5) その後,Aが職員室へ向かおうとしたところ,被上告人は,後ろからAのでん部付近を2回蹴って逃げ出した。


の部分である。この部分を指導したかったはずだ。この部分の指導はどうなったのか。母親の提訴により児童のこの行為そのものがうやむやになり(或いは正当化され)指導の機会を逸したり、或いは「僕は悪くない。悪いのは先生だ」と当該児童に誤解させてしまったりしたとしたら、最大の被害者はこの児童なのだ。

そのことを、この母親や学校関係者は気付いているのだろうか。

 事件から7年、この児童は既に中学3年になっている。どのような中学生となっているのだろうか。提訴により、周囲が見る目も変わっただろうし、地裁、高裁、最高裁と三度の裁判費用、弁護士費用の負担も重くのしかかってくる。また、判決文に記された当時の行動から推測すると、生育の過程で他者との接し方を学ぶ機会を逸したのか、或いは何らかの発達障碍等のハンディがあったのかも知れない。

 これを機会に、周囲から支援の手が差し伸べられること、支援の必要性に気付くことを期待したい。また、学校や地域社会とで信頼関係を築く努力の必要性に目覚めてほしい。


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朝日の本日(5/3)版に先日の最高裁判決に関する評価記事が載った。
概ね同感だ。

 体罰容認論者は「言っても分からない奴は殴らなきゃあいかんのだ!」と言う。(これは教師には殆ど居ないが、保護者には意外に多い)

でも、この考えは大きな間違いだ。

 言っても分からない(理解力がない。規範意識がない)子どもは、大人も同じだが、殴っても分からない。ただ「暴力」に従うだけだ。判断の基準が、「正しいor正しくない」ではなく、「痛いor痛くない」「怖いor怖くない」「損をするor損をしない」となっているからだ。

 暴力に従った結果、心の中には「反省」ではなく「怒り」「心の痛み」「恨み」のエネルギーが密かに蓄積され、いつかどこかで解放される時を待ち続ける。

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by taketombow | 2009-05-03 23:46 | ニースに接して