「夢を持つ」「希望を語る」ということ

昨年度卒業式の式辞で触れた本。 児童書(中学生~高校生向け)
先が見えない時代、夢を持ちにくい時代。だからこそ、夢が必要なのだな。
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夢を持ってはいけません -目標達成力を身につける 佐々木宏・著 国土社・刊 1,200+TAX円

意表を突く書名に思わず、手に取りたくなる。そして、「何故だろうか。著者は何を言いたいのだろうか。」との問題意識をもったまま、読者は巻末まで一気に読み進む。

自分は何になったらいいのだろうか、何になれるだろうか。どうなるのだろうか。と、自分の将来に対して、少しでも考えたことのある子どもたちだったら、この本は適書だろう。
 しかし、そのような子ども達は、全体の何割いるのだろう。また、書名だけを見て「あっ、そうなんだ。希望を持ってはいけないんだ」と、何も考えず、素直に妙に納得されてしまって困る。
 
 この本を「思わず手に取る」そして「何気なくぱらぱらとめくる」そのような子どもに育てるのは、私たち大人の仕事だ。

 要は”「夢」を「夢」のままで終わらせてはいけない”ということ。「夢」に「日付」をいれるだけで「目標」になる。

具体的な方法を4つ述べている。
1 時間を大切にして努力すること。1日を86,400円(1秒=1円)と考えてみる。努力しても結果が出なかったら、方法、目標設定、真剣度のどれかに原因がある。
2 努力は孤独でない。結果が出なくても、自分の心の中では必ず何かが起こっている。
3 親友を沢山作ろうと思うな、真の友だちが一人いれば十分だ。
4 目標はメガピクセルで。できるだけ詳しく描け。
5 失敗を恐れるな。若い間は失敗も許される。「ガラスの自己肯定感」であってはならない。「真の自己肯定感」を育め。それは失敗を経験して育てられる。「成功」の反対語は「失敗」ではない。「成功」の反対語は「何もしない」だ。

子ども達だけでなく、職場や学校の朝会でのネタに使えそうな内容だ。
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# by taketombow | 2010-05-15 08:48 | 私の本棚から  

「もう」就活?「まだまだ」就活?

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 先日、仙台で見かけた光景。
 
 まだ吹く風が小寒い4月中旬。JR仙台駅前には歩行者通路と広場を兼ねた空中デッキがある(ペデストリアンデッキと呼ぶそうだ)。
 そこのベンチにリクルート姿の娘さんが腰掛けて何やら考え事をしている。時刻はまだ朝9時を過ぎたばかりだ。横には旅行用のカート。折りじわが沢山ある東北地方の地図をじっと眺めている。そこにマーカーペンで赤く太いラインが引いてある。そして、あちこちにボールペンで日付等が書き込まれている。
 リクルート活動で各地をずうっと回っているのだろうか。まだ決まらなかった4年生か、これから就活が始まる学生かは分からない。

 昨今の厳しい経済状況の中、就職戦線は過酷だ。努力が必ずしも報われる訳ではない。徒労に終わることの方が多いかもしれない。しかし、努力なしでは、スタートラインにつくことも、その参加資格を得ることすらできない。

 頑張れ!!挫けるな!! 諦めたら、そこがゴールになってしまう!心の中でそっとエールを送りつつ傍らを通り過ぎた。
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# by taketombow | 2010-05-15 08:26 | 雑感  

定年退職の日

 この3月31日付で定年退職した。

 いつもと同じ五時半に起床し、7時のバスに乗る。そして地下鉄を2回乗り継ぎ再びバス。
 一つ手前で降りて職場までゆっくり歩き、8時少し前に自分の部屋に入る。

既に私物は殆ど運び帰り、部屋は後任の着任を待つばかりになっている。
固く絞った雑巾で、机上や引き出しを改めて水拭きし机に向かって見る。

 せめて最後の日くらいは「仕事を軽く切り上げ早めに帰宅」を目論んでいたが、そうは問屋が卸さない。何があっても、本日の24時までは私が責任を持つことになる。
 教頭が持ってくる最新の児童数をチェックする。
 よかった、このままでいけば、予定通り学級数で新年度はスタートできそうだと、安堵する。次に教務・校務も交え、教室配置、年間計画、担任配当、仕事の分掌等々、既に確定したことを淡々と再確認し、微修正していく。
 そうこうしている間に昼となったが、食べに行く時間はないので昼食は諦め、市の公館へ向かう。

 ここで、午後から退職辞令の交付式がある。市の賓客を迎えレセプション等の公的な接遇に使う施設だ。今日はここで教育委員長から一人一人にねぎらいのことばとともに退職辞令を戴いた。
 その後、再び職場に戻ったら、来客が二人。そのうちのお一人はnaritaさんだった。わざわざ私の職場まで来ていただき、温かい言葉と素敵な花束をいただいた。その心遣いが実にうれしい。

 あれやこれやで、職場を後にしたのは5時を少し回ってからだった。多くの職員がこの時間まで残って送り出したくれた。



 37年間、決して楽ではなかったが、やり甲斐があり、確かな手応えがある仕事だった。
そして、妻をはじめ家族の理解がなければ決して続けられない仕事でもあった。

幸い、家族に恵まれ、どの職場でも、同僚、上司、部下に恵まれて今日まで働く事ができた。
ただただ、感謝、感謝、感謝。
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# by taketombow | 2010-03-31 23:19 | 雑感  

映画「おとうと」と共依存(きょういぞん)

 先日、カミさんと映画を見た。夫婦のどちらかが55歳以上だと二人2000円で見ることができる。私は数年前その資格を得ている。

見たのは、

松竹映画「おとうと」。

山田洋次監督の最新作で、現代劇としては、10年ぶりの作品だ。

監督:山田洋次、脚本:山田洋次、平松恵美子
出演:吉永小百合、笑福亭鶴瓶、蒼井優、加瀬亮
公式サイトはここ。
http://www.ototo-movie.jp

 氏の作品に共通していることだが、一般人や社会の逸れ者のささやかな日常生活に潜む喜びと哀しみを、ユーモアとペーソスに溢れた上級の人間ドラマに仕立て上げている。何よりも「おとうと」鉄郎役の笑福亭鶴瓶がいい。ふしだらで、どうしようもないのだけど、憎めない男を好演していた。また、その姉・吟子役の吉永小百合も実に良い。慈愛に満ちた「日本の母」を見事に演じている。

 立派な兄、しっかり者の姉、放蕩者の弟。母に亡き後、「今度こそは」と約束する端から次々と問題を起こし、不始末をその都度尻ぬぐいしてきた。その吟子と鉄郎との姿を「家族の絆」として、温かく肯定的に描いている。公開してからほぼ1ヶ月経っていたが、座席はほぼ埋まっていた。観客の大多数は、私と同じ団塊かそれより上の世代だ。
 鉄郎は大阪で倒れ、民間のホスピスで吟子達に看取られながら最期の時を迎える。その見寄のない人々を受け容れ、最期を看取る民間ホスピスで働く人たちの様子もそれとなく描いている。

 笑い、涙、感動のある名品だと思うが、劇場が明るくなってから、何か心に違和感を感じた。


 「家族の絆」 なんて美しい言葉なんだろう。しかし、この名の下に、家族(多くの場合はその母)に犠牲が強いられ過ぎていないだろうか。
 確かに心情的には切っても切れないだろう。しかし、自己を(ときにはその子をも)犠牲にしてまでも、家族を助けなければいけないのだろうか。この映画はそれを美化し(暗に強いて)ているような気がしてならないのだ。

 女を騙し金を巻き上げ、その尻ぬぐいをさせたり、子(主人公からすると姪)の結婚式へ押しかけ泥酔して混乱させる。かなりの年齢になってから、性格行動は変わらないし変えられるものではない。不適切な表現ではあるが、この作品の中で主人公は「亡くなった」から良かったものの、生きていたらこれが延々と繰り返されるのだ。自分の築き上げた財産や、人脈が崩れてしまうのも我慢しなければならないだろうか。

 何よりも、吟子がせっせと世話を焼き尻ぬぐいをしていくことが、果たして鉄郎のためになっているのだろうか。

 良かれと思い相手のためにせっせと尽くすことが、却って相手をスポイルし、自分の無意識下でそのようにして相手をコントロールすることに喜びを感じる。それは共に滅びるまで続く。これを共依存(きょういぞん)という。鉄郎と吟子の関係は、「共依存」とみることはできないだろうか。


苦しいけれど、離れられない 共依存・からめとる愛 信田さよ子・著 朝日新聞出版・刊 1,600+TAX円
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「共依存・からめとる愛」の詳細・reviewはこちら
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# by taketombow | 2010-03-07 18:49 | 私の本棚から  

バスの車中で

 先日、仕事帰りに乗ったバスでのこと。

私の後ろのに座っているのは、若い母親と小さな女の子のようだ。
女の子は幼稚園の年長組か小学校低学年くらいの年頃だ。
女の子はあれこれといろいろ母親に話しかけている。

女の子の言葉の一つ一つに「うん」「そうね」など適当に相ずちを打っている。やがて話題が変わって女の子が母親に問いかけた。
「ねえママ、風船の一番のお友達は誰だか分かる?」
「うん」
「・・・・・・・」
母親はどんな返事をするのかなと聞き耳を立てたが、返事はない。
やがて、女の子はしびれを切らしたように自分で答えを言い出した。
「それはねえ。それはお空なの。だから手をはなすと空へ行ってしまうんだよ」

なんて素晴らしい発想をする子どもだろうか、そしてこの言葉を受けて母親は何と返すのだろうかと、母親の次の言葉を待ったが「うん」と言う言葉以外は無かった。

そのうち女の子は話すのを諦めたのか、黙り込んでしまった。

どうしたのかなと、そっと後ろの様子をうかがうと、母親は携帯の画面を見つめ、せわしなく指を動かしていた。

「なるほど! あなたは素晴らしいことに気付いたね」
「雲さんもお友達かも知れないね」

などと、母親が言葉を返したら、この会話はどう展開していったのだろうか。
私は、それを聞きたかった。
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# by taketombow | 2009-12-30 00:36 | 雑感