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「いじめ」問題再考

論ずる前に 次のことを大前提として確認しておきたい。

1 どんな理由、場面、人物でもいじめを正当化することはできないこと。
2 「いじめ」と感じ認定するのは被害者であること。
3 責められるべきは、
  ・加害者
  ・加害者をそう育てた保護者
  ・放置した、あるいは場を提供した関係者
 であり、決して被害者やその保護者ではないこと。

 いじめは、何も新しい問題ではない。古くから、あることだ。
 平安時代、宮中での女官達のやりとりや、江戸時代の大奥での奥女中たちのやりとりにも、いじめとしか見えないやりとりが数多くある。私たち人間は、ある面から見ると本当に愚かな動物だと思う。3人以上集まれば、もういじめが発生する可能性があるのだから。

注意しておきたい点

1 誰もが加害者にも被害者にもなる可能性がある。

2 "あそび"、"ふざけ"、"冗談"、"わるふざけ"、"いじめ"の区別がつきにくい。
  その分岐点は、メンバー、場面、そのときの気分によって日々刻々と変化している。

3 同じ事をやっても、自分がするときと、自分がされるときとでは、冗談からいじめへと変わる閾値が違う。得てして、自分がするときは極端に高くて、されるときは極端に低い。
 「結構酷い言動を自分はしているのに、自分がその半分でもされたら大騒ぎをして家族揃って抗議してくる」くるという例は最近よく耳にする。
 
4 明らかに、いつも同じ児童・生徒が、長期間、継続的に、いじめ、からかいの対象になっており、それが担任の努力ででも解消できないとしたら、もう、それは1学級担任の能力を超えている。全校的に保護者も交えて取り組まなければならないことかも知れない。

 今回の事例はどうだったのか、小学校からどのような引き継ぎがあったのか、中学校はそれをどう受け止めたのか。
 平素の学校生活で、そのような兆しは本当になかったのか。本当に全く分からなかったのか。あるいは、小さな兆しを深刻に受け止めず、見過ごしてしまったのか。

 非常に気になる。

by taketombow | 2006-08-27 11:08 | 雑感  

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